2004/10/30
ジェームス・トワイマンさんが
言っていたことで
驚いた というか、そうかもっ!
と思ったことがあったので、書いてみます。
”悟りとはなんでしょう?
神(愛や ありてある我 ハイヤーセルフ スピリットなど?)の見方
で見ること、自分を見ることです
それを邪魔しているものはなんでしょう?
それは恐怖です。
それではわたしたちはいったいなにを恐れているのでしょう?
これは受け入れにくいかも知れません。
それはひとつのことを恐れています。
その恐れているものは
神(愛や ありてある我 ハイヤーセルフ スピリットなど?)
です。
それは3次元世界では人との関係で表されます。
となりの人(隣人?)と1分間目を合わせてください。
できますか?日本ではどうかわかりませんが
ひとはそこに恐怖をみます。
子供は簡単にできるでしょう。”
こんな感じのことを言っていました。
そうだなぁと思いました。
他人を見たとき感じたことは
本当は自分が自分に対して感じていることなのかも知れないと
思った。
それとは別のある人が言っていたことの意味も少しわかったような気がする。
「わたしは”煙がかった鏡”」
他人を見ているようで、じつはそこに映っているのは
ぜーーーーーーーーーーーんぶ じぶん。
ってことかもしれない。
じぶんの頭の中で起こっているだけかも知れない。
勝手にいろいろ思いこんで
想像しているだけかも知れない。
煙という恐怖やエゴや我を手放せたとき
かがみになれるのかもしれない。
これもまた別の人が言っていたことだけど
”神道(振動?)に まつってあるのは、かがみ。
「鏡」から「我」と とると どうなる?
「かがみ」から「が」をとると どうなる?
「か○み」
「かみ」になるでしょ。
かがみ から 我(エゴ)を手放すと 神になる”
そんなことを言っていたことを思いだして
つながっていった。
わたしは煙がかった鏡
煙という我(エゴ)を手放したとき 煙がかってない鏡になり
それは「か○み」神になる。
そのとき他人のなかに自分という愛を光を見るんじゃないかな。
そう思った。
そうなっていくことを目指す。
これは長い道のりになるかもしれないな〜。
頂上までいきたいなぁ〜
「やっほー」ってさけびたい。
やっほー
やっほー…
おぉー 返って来たことは 自分が出したこと。
これもまた鏡のようだ。
出て、来た。
想像は創造
出来た。
かがみ。
かがみでいれますように

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