2006/1/17
「西遊記 キュウリ ポリポリポリ」
映画・テレビ・新聞 (本)
西遊記見た〜。
月9なのに西遊記(笑)
けっこう不思議かも 恋愛じゃない!(笑)
天竺へ行く旅の物語。
実際にあった話らしい。
スマステでやってた。
天竺から帰りにかかった時間が
17年
らしいのよ!
マジっ?って思った。
天竺には
平安をもたらすありがたいお経がある
それを求めて旅をする。
お経
経
「経」とは「宇宙の仕組み」のこと
と どこかの本(ユングと占い)で読んだことがある。
もしそーだったら
平安をもたらす宇宙の仕組み(の理解?)を求めて
旅をしているとも
言えなくもない?
ってちょび 思う。
それって
ちょっと
いいなぁ〜
って思う(笑)
カッパの沙悟浄(内村っちゃん)のあのシーンが好きなのよ
キュウリがあったら
ポリポリポリ・・
って食べちゃってるところ(^^)
そーいう他の人の個性を見ると
個性もおもしろくて
自分の個性もなんか許せちゃうというか・・・
そんなふーにちょび思った。
個性と自分は違うものというか
「自分」と「個性」は別というか
「自分」に装備しているものが「個性」みたいな
「個性」は自分のものじゃなくて「レンタル」みたいな
そーみると
なんだか世界が彩るのよ(笑)
おもしろいやつがいっぱいいる(爆)
変なところ とか
おかなしところ とか
が
おもしろいんじゃねーのって
思いはじめてきた・・。
変→おかしい→おもしろい
ぼくは思っていた。
変なところがある、それか病的なところがある、
それを治していこう!みたいなところが
でも
変は おかしくて 変は おもしろい
変は なにも変えずに そのまんまで おもしろかった。
西遊記の
カッパ沙悟浄 ウッチャンのキュウリ ポリポリポリ
じぶんの外側からの情報・ストーリーは
なかなかやるじゃん(笑)
おかげサマンサ!
とりあえず
なんとなく見た
それでも、発見があった。
きっと
自分の外側からの情報やストーリーを
見聞きすること、感じることで
発見%がうきゃきゃきゃ なるんじゃないか・・と
自分の外側には
ぼくがいる?!発見がある?!
「自分の外側」→「自分の内側」→
→「(書くなどの)表出(表現)」→「発見%UP」 ?!
「自分(ぼく)の外側」→「自分(ぼく)の内側」→
「自分(ぼく)を通じて表出=
(相手(Aちゃん)にとっての)自分(ぼく)の外側」→
「相手(Aちゃん)の外側」→「相手(Aちゃん)の内側」→
「相手(Aちゃん)を通じてからの表出 = 自分(ぼく)の外側」→
始めに戻る・・・循環
ちょっとわかりずらくなった・・・^^;
なんか
おもしろがりながら発見ができるのかもしれない。
「快・喜び」と「発見・学び」の両立?
それは
まず
自分の外側からのインプットと
そして
自分の内面を通してのアウトプット
に ありそーな気がしてきた。

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