前回からの続き
『続 柴又草だんご頑固物語』オープニング
語り:草村 礼子
(のどかな江戸川 寅さんの音楽が流れ矢切の渡しに乗って川を渡っている)

江戸川がゆったりと流れる東京の東のはずれ
葛飾柴又
(矢切の渡し)
渡し舟が今も残っています
(帝釈天題経寺山門)
ここでは400年も昔から帝釈天があつく信仰されてきました。

そう、映画「男はつらいよ」の舞台として
全国に知られた観光地でもあるのです
(混雑する帝釈天参道、多くの人出で賑わう亀家さん店舗)
帝釈天の山門から一番近くにあるだんご屋
「亀家本舗」
(若旦那 純哉さんの店先での言葉)
「柔軟材・保存料、添加物一切入れていないです。」
寅さんのだんご屋のモデルにもなった老舗です
(ご主人 社長 岩崎英二郎さんが映る 65歳)
店の自慢はお父さんが頑固に守り続けてきた
こだわりの草だんご
(活気のあるお店、元気な呼び込みの風景)
「はい、いらっしゃいませ、いかがですか〜」
亀家の草だんごは
香りのいいよもぎの新芽と
こしの強い最高級のうるち米の粉で作ります
(おだんごの作られる風景が映る)
あんこは十勝産の小豆とざらめをを使います
添加物は一切加えない 自然のおいしさ

それが亀家のこだわりの草だんごです
(社長 英二郎さんの言葉)
レンゲソウでいいんです。
だんごはレンゲソウでいいんです。
気にする人は気にするけど、気にしない人はみんな踏み潰して
掛け相手も遊んでったりしている
そういう場所にあるんだよね。

だからそれと同じようにそんなに皆に注目されなくてもいい。
ただ、草だんごというものは葛飾の外れに行くと売ってるよ。
それであそこ行ったらあれ食べてみたいな
あるがままんまでね、
これが草だんごなんだよっていうことでいいと思うんだな。
「美味しいんだ〜、これがまたぁ」
「ははは!」
「入るとこが違うんだまたぁ」
「ははは!!」
「ははははは!!!」

「都会とちょっと違うとこがあるでしょ」
(うなずく女性客。美味しそうにお団子をほおばっている。)
「ね〜、だから お父ちゃんとお母ちゃんのこと
きっとね思い出して。」
(若い女性客)
「食べちゃった〜」
柴又に遊びにきたら、柴又らしさを感じて欲しい
柴又の心を感じて欲しい
それが頑固おやじ、英二郎の変わらぬ思いなんです
亀家は創業80年の老舗
お父さんは3代目の主です
(写真 1966年 養子縁組)

実は、亀家の先代夫婦に子どもはできませんでした
そこでお父さんが養子として入ったんです
英二郎、23才の時でした
その3年後に始まったのが寅さんの映画、「男はつらいよ」
映画のお陰で柴又は全国に知られる観光地になりました

私の自慢はうちのお父さんが渥美さんに纏の振り方を教えたこと

柴又が活気にあふれていたいい時代
亀家も大繁盛しました
その寅さん映画が始まった年です
お父さんが私を嫁に迎えてくれたのは
お父さん私は同じ横浜の生まれで
中学では同級生

(横浜市立蒔田(まいた)中学)
クラスで一、二番を争うライバルでした
恋人だ何てその時代は堂々と言えなかった
でもずっとグループ交際を続けていたんです
私たちの結婚、実は亀家の先代夫婦からは反対されました
私の実家が商売人じゃなかったからです
そのために私、悩みました
(江戸川の川辺で女将さんの和子さんが涙ぐみながら語る)
「うちの主人はね〜、やっぱし養子にきたから、俺はお前のことは
例えばおふくろと喧嘩してもお前の味方にはつけないよ言われたの。
それはすごくやっぱしあの〜、今のおばあちゃんとね
やっぱ嫁姑だからいっぱい喧嘩しましたよね。
で、いっつも私の方に立ってくれないんですよ。
でそれが凄く悲しくてね
帝釈天行って 夜や朝早く行ったりなんかしてね
よくず〜っと考えててね。
な〜んでこんなとこ来ちゃったんだろうな〜って思うとき
いっぱいありましたよ。
でもね、負けちゃいけないと思って。(涙笑い)
(使い込んだ畳の和室)
結婚しても随分肩身の狭い思いをしました
私たちの部屋は3階の一番北側
5畳半の和室
窓から見える帝釈天が救いでした
亀家に嫁いで40年わき目も振らず働いてきました
(女将さんが団体のお客様をご案内している)
(店内でおだんごを振舞っている 皆楽しそうに歓談)
今では柴又は第2の故郷
お父さんの草だんごを一人でも多くの人に食べてもらうのが
私の生きがいなんです
「ホントにわかってもらいたいのね
みんなに このお団子の美味しさっていうのをね。
こころ込めて作ってるんだからね。」
(柴又駅 風景)
1995年「男はつらいよ」シリーズ 制作終了
渥美さんが亡くなり寅さんの映画が打ち切りになると
柴又はすっかり活気を失ってしまいました
(累積赤字 数千万円)お客さんもがたんと減り亀家は赤字
毎年の赤字が積もり積もって数千万にもなってしまいました
「社長は今何をされてるんですか?」
「無い金を搾リ出して 給料払うんですよ。」
厳しい経営
こんな状態が続けば店はいつ潰れてもおかしくありません
(厳しい表情で電卓をたたく英二郎さん)お父さん、決断を迫られていました
「あと何年持つかという状況だよね
今の状況であれば。」
「これからは 責任逃れみたいだけど
せがれに委ねていかなきゃならないけど
だからこそ 何年か前に 自分で代表権を
譲ってもいいと思った時期があったんだけど
こういう流れの中で
代表権を彼がもらったって喜ぶわけないし
資金繰りなんかでも大変さだけが残る。
そんな社長じゃ、譲ってもらっても嬉しくないもんな。」
養子として亀家を受け継いだお父さん
少しでも店を大きくして息子に渡したい
それが親心だったのだけど・・・
お父さん、お店の再建を息子の純哉に任せてみる事にしたんです
(お座敷に純哉さんと英二郎さん)
(英二郎さん)
「こんど迎える正月ね
とりあえず正月をさ
お前の仕切りで 売る上げをね
去年を10とすれば 12、3
この正月、あと1ヶ月あるからね
考えてやってもらいたいなと。」
(若旦那の純哉さん)
「努力してみます。」
「そうだね、がんばって・・・」
(工場で作業をしている)
純哉が引っ張り出してきたのは
昔使われていたというこの風変わりにな道具
これで団子を作るって言うんだけど
こんなモノが店を救う切り札になんのかしら・・・
「女将さんこれは見たことがある?」
「それがねぇ、あの〜初めて見たんですよ、私。
ね、これ持って来たからね、何これっ〜?て言ってね
だから、こういうふうにやるんだよ〜って言って
いやぁ〜私気が付かなかったなぁ〜来た時こんなのがあったの。
・・・ね、片付けてたら出てきたんだよね。」
(純哉さん)
「そう!何年前かな〜、随分前に工場を大掃除した時に
工場の屋根裏じゃないけどホントの奥からこれが出てきて・・・」
「これ何するものなのか
ここにお団子流すンかなっと」
ははは(笑)
・・・つづく

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