前回お届けした
ロケ地遂に発見!@に続く
今回は第2弾。
後編です!
事前調査で様々な物証は確認できたが
一目瞭然という決定打はまだ発見できていないままだった。
それは当時の神社の全体の写真だ。
それともうひとつ狛犬問題。
現在の写真を見ると鳥居と灯篭の間に狛犬がいる。
しかし、当時のスチール写真に狛犬はいなく
鳥居と灯篭の間には何もない。
これは一体どういうことか?
この神社について詳しく調べてみた。
千勝(ちかつ)神社
当社は、元禄2年(1689)の水神社創立にはじまる。
当時の氏子は5戸で、
新田の人びとがまず水神を祀ったわけである。
明治の「神社明細帳」には、
「水神社、社殿間数方弐間」とある。
また、千勝神社は境内社で、嘉永4年(1851)
6月信徒8戸で創立した石造の祠であり、
同じく石造の庚申塔が明治13年2月28日
信徒8戸で創立されたと記載されている。
その後、明治31年に石造鳥居及び狛犬が
造立されたが、鳥居の石額に「千勝□□、水神□」と
刻まれている。
これによってみると、当初の水神社に代って、
千勝神社が優位になってきたということであろう。
社殿は、昭和54年の沼べりの道路開通にともない、
移転修築されて今日に至っている。
我孫子市史 民俗・文化財篇 より抜粋
資料によると鳥居と狛犬は同じタイミングで
明治31年に同時に造立されている。
映画は昭和48年なので
当然撮影時にも狛犬は存在したはず。
ではなぜ写っていないのか?
ロケ地は99%ここで間違いなし!となってはいたが
狛犬の問題は少々不安に感じていた。
そんな折、千葉県の神社を検索していると
下の写真を見つけた。

これは同じ我孫子市高野山にある香取神社である。
ご覧の通り狛犬は鳥居の前に置かれている。
ひょっとしたら昭和54年に移転修築される前までは
千勝神社の狛犬も鳥居の前に置かれていたのではないか?
この推測を寅友で寺社に詳しいカケちゃんに聞いてみた。
「(十分に)
ありですね」
お墨付きを頂いた!
推測は間違えていない。
あとは物証だけ。
推測の裏付できるものは何かないかと探してみた。
するとこんな部分を発見!!
この写真はスチール写真の全体なのだが

黄色点線で囲った部分2か所。
拡大してみる。
これはひょっとして…
現在の写真と見比べてみた。すると…
狛犬の一部分と判明!!
やはり狛犬は鳥居の前に置かれていたのだ!
これで事前調査は完了。
あとは現場に行くだけだ。
***
8月某日
これまでの梅雨空が嘘のように晴れ上がっている。
映画の状況を考えれば、むしろ雨の方が雰囲気は
あうのだが、調査や検証を考えれば絶好のコンディション。
いざ!千葉県我孫子市へと向かった。
現場に入る前に我孫子市図書館に立ち寄る。
調査目的は
@「千勝神社」の昔の写真
A千勝神社の移動距離の確認
B手賀大橋の昔の写真
Bについてはこんな写真も見つけた。

新旧が並んで架かっている。貴重な写真。
手前が旧手賀大橋
奥が新手賀大橋。サイズが全然違う。

比較するとよくわかる。
Aについては当時の住宅地図で確認すると
道路拡張での移動と史書にはあったが
実は神社自体はほぼ以前と同じ位置にあり
動いたとしても数メートル程度であることを確認。
@については大きな成果を期待して臨んだ
図書館調査であったが、約2時間近く図書館で粘っても
結局発見することはできなかった。
午後2時、いざ現場へ!
遂に到着!
世界で初めてご紹介するロケ地
千勝(ちかつ)神社
約7年の歳月をかけ
ひたすら探し続けた第11作〜忘れな草OPのロケ地
感動である!
驚いたのはそのサイズ感。
非常に小さな鳥居なのである。
身長170pの自分でも鳥居をくぐる時には少し頭を下げる。
自然とお社にお辞儀する状態。
今回の事前調査で活躍してくれた狛犬と灯篭

何だか出迎えてくれているような気がした。
そして渥美さんのいたお社

当時とは違うが間違いなくここに寅さんはいたのだ。
おや?寅さんがいる??
次は現場の聞き込み
この時が一番緊張する。
お伺いしたのは千勝神社の裏手にあるお家。
裏手には数件のお家があるのだが
こちらはすべてご親戚関係。
そして注目は千勝神社の氏子の方々なのである。
私達の突然の訪問であったのにも関わらず
ご家族の皆様はとても親切に応対して頂き、
当時の貴重なお話をとても詳しく教えて頂けた。
約30分ほどお話を丁寧にして下さったのは
御年88歳のお母様とご子息様
当時は近所の方数人とご親戚の方と一緒に
撮影の現場を見学されていたとの事。
お話をまとめると以下の通り。
@撮影されたのは平日の昼間で半日程度。
A事前連絡なく突然山田組が訪れて撮影になった。
B画面に映る耕運機を動かしている方(赤点線枠)は
お話を聞かせて頂いたお母様のご主人様
C遠くで農薬を撒いている方もご近所の方。
Bと同じくCも山田組からの依頼で行われた演出である。
D神社のお社の屋根は本来赤いトタン屋根なのだが
映画の撮影のために山田組スタッフと地元の方数人で
手分けして藁を差し込んで藁ぶき屋根に仕上げたこと。
E雨は撮影用にホースで巻いていた。
第8作メイキング映像「フーテンの寅さん誕生」より
F大型扇風機を使って風をおこしていたこと。
G画面左にある櫓は田んぼのための井戸であったこと。
H神社の脇には馬車が通れるくらいの道であったこと。
I田んぼは神社より一段下がった場所にあった事。
これだけの新事実が判明した。
やはり実際に映画の撮影を目撃された方の情報は貴重だ。
そしてここで撮影されたという事実は
こちらのご家族様、ご親族様と数人のご近所の方のみ
ご存知というだけで公表はしていなかったという。
今回の発見がなければ永遠に世に出ることはなかった
可能性がある。やはりギリギリのタイミングなのだ。
これだけ多くの貴重なお話を頂戴できたこと
ご家族の皆様、深く深く感謝いたします。
ありがとうございました。
そして、この撮影後に実際に目の前で渥美さんに
サインをして頂いた色紙がどこかにしまってあるという。
とても貴重なお品です。是非映画のシーンと共に
ご家族の宝物にして頂ければと思います。
残念ながら左手にあった田んぼは現在は無くなり
映画のような手賀大橋を見ることはできない。

水の館より撮影

そして赤点線枠にある建物

ここは1970年に開校したばかりの
県立我孫子高校のグランドにあった建物。

恐らく本校舎建設前の仮校舎ではないだろうか。
※ご存知の方ご教示ください。
2021/5/10
我孫子高校のグランドにある白い建物は運動部の部活棟という事です!
情報をお寄せ頂き、誠にありがとうございます!
(現在は西側に向きを変えて建て替えられたものがあるそうです。)
上から見るとこんな感じ

(1975年航空写真)

水の館より
お別れの時

約7年の月日の後、やっと出会えた千勝神社。
とても愛おしく思えてくる。
これからも寅ファンをよろしくお願いいたします。
最後に…
今回もご一緒させて頂きました吉川様(右手)

いつもありがとうございます。
吉川孝昭様のサイトにて
更に詳しく今回のレポートをご覧頂けます。
2020年8月8日号外!!
第11作「寅次郎忘れな草」OP
「春雨じゃあ・・濡れていくか・・」の神社
新発見!再現動画&現地調査レポート
今回もまた長いレポートにお付き合い頂きまして
誠にありがとうございました。
それではまた。
おしまい。

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