全国8000万の寅ファンの皆様!
今回ご紹介するロケ地は
これまでどのロケ地本にも載っていなく
また、誰もその場所を知ることの無かった
完全未解明のロケ地です。
これは歴史的な発見です。
今、この投稿をご覧頂いている皆様は
この事実を知ることで歴史の証人となるのです。
私と、そして親愛なる私の寅仲間たちが
長い長い月日をかけ、自分たちの許される時間の中で
このロケ地の発見に力を注いできました。
渥美さんのセリフもあり、演じてもいる。
映画を観た人の心にもしっかり残る重要なシーン。
ここは一体どこなのか。
この場所(ロケ地)が分からなければ
第11作の全てを楽しめたとは言い難い!
約7年前、寅友の吉川さんが仰った言葉です。
その言葉は私の心に大きく刻まれました。
いつか必ず発見する!
そう心に誓ったのでした。
それから時が過ぎ…
2020年夏
遂にその時が
来たのです!
夢にまでみた
あの難攻不落のロケ地!
リリー初登場の作品
第11作 男はつらいよ
寅次郎忘れな草
OPで夢から覚めた寅次郎がいたあの…
(通称)
春雨神社!
この場所が
遂に発見されたのです!
それがこちら!
では映画のシーンと並べて比較してみましょう。
どうでしょうか。
お社自体は昭和54年に移設されていますので
多少鳥居との位置関係は違っていますし
田んぼはすっかり様変わりしていて
映画のシーンとは全く変わってしまいました。
でも鳥居、灯篭の持つ雰囲気は
映画に出てきた正にその物です!

映画ではもっと右からのアングルですが
後ろにある電柱と鳥居の位置を映画に合わせてみました。
地域はどこなのか?
今作の舞台となった
北海道なのか。
はたまたいつもの山田組マジックを駆使した
大船撮影所周辺や
神奈川なのか。
それとは関係なく
千葉、
茨城なのか!
今回はこのロケ地発見までのレポートになります。
ごゆっくりお楽しみください。
***
映画冒頭
(夢のシーンが終り…)
うう〜ん・・・
夢から覚める寅次郎
そこはとても雰囲気のある古そうな神社。

遠くに雷鳴が聞こえ、横殴りの激しい雨が降っている。

寒さに襟元を閉める寅次郎。

足元に古びた番傘を発見!
「月さん、雨が」

「春雨じゃ…」
(この時のセリフで通称「春雨神社」となった)

傘が破けていることに気が付く

「濡れていくか⤵」
襟元を更に深〜く閉じる寅次郎。
「はぁ〜ああ・・・」
「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」

タイトルバック
ここは江戸川で柴又とは反対側の松戸市側
主題歌が始まる
という一連のシーン。
シーンをご理解頂けたところで
今回の解明に向けた道のりを
ご紹介したい。
先ずはこの場所がどの地域なのか。
地域を特定するには情報が少なすぎる。
とは言え情報自体はしっかりある。
注目はこのシーン。
黄色い枠を拡大して色彩をハッキリさせてみた。

遠くに見える橋や水辺、そして鉄塔。大きな屋根の建物。
最初に目標としたポイントは3つ
1.鉄塔が並んでいる場所
2.少し弧を描き、下の部分が赤い橋
3.大きめの水辺がある
注目は3つめの水辺。
一見川のように見えるが
川であったら増水による氾濫に注意するはずなので
土手はもっと高くするはず。
こんなに低い土手になる事は考え難い。
もし土手が低くても大丈夫というなら
この水辺の正体は、増水の不安が比較的少ない
大きめの池か
沼
そこで狙いを絞ったのが千葉・茨城方面
特に牛久沼は34作でも登場するので怪しかった。
そんな中、約3年位前に発見した場所がこちら。

出典:Google
並べて見てみよう。

ここは牛久沼の「三日月橋」付近である。
Googleなので正確なアングルにはならないが
雰囲気や状況はそっくり。
1.遠くに鉄塔もある。
2.下の赤い橋がある。(でも弧を描いていない)
3.もう少し高い位置から撮影すれば
恐らく牛久沼の水辺も見えるはず。
探していた条件がほぼ揃っている。
だが。肝心の神社が無い!
今は無くなっていても昔はあったのでは?
期待を込めて昔の航空写真をみてもやはり神社は無い。
では昔の地図では?と国会図書館で住宅地図を見ても
やはり神社は今も昔も存在していない…
やはり違う!
これは結構ショックだった。
ここに至るまでもかなり探し回っていたからだ。
一度心が折れるとそこから先は中々進展しなかった。
自分の推測が間違っていたのだろうか?
そんな自問自答をしながら、あとはコツコツと
鉄塔ローラー作戦を続けるしかなかった。
とにかく鉄塔を辿って行って地図に印をつけ
その付近の橋と神社を探し回るという地道な方法。
それでもいつかは…と思いながら
千葉、茨城を探し続けた。
目標が鉄塔となると捜索範囲は一気に広がる。
千葉、茨城が粗方探し終わると今度は神奈川が怪しくなる。
神奈川も徹底的に地図に印をつけ鉄塔を探した。
でも雰囲気が違う。神奈川ではないような気がした。
そうなるとまた原点である千葉、茨城に戻る。
そんな時、別の捜索ポイントである橋を探している時に
偶然一枚の写真を発見した。
それがこちら。

これは旧手賀橋である。
現在はこちら

手賀大橋は千葉県柏市箕輪新田と千葉県我孫子市若松を
手賀沼を跨いで結ぶ橋である。(出典:Wikipedia)
1997年に現在の新手賀大橋が完成している。
それまでがこの旧手賀大橋(1964年完成)
お気付きであろうか。
実はこの写真には探していた3つのポイント
1.鉄塔
2.下が赤くて、弧を描いたような橋
3.大きい水辺
これらが全て写っているのである!!
もうこうなるとあとはこの付近の
神社を探すだけ!
探す手も震える程興奮していた。
あった!
直ぐ近くに神社発見!!
似ている!
これは非常によく似ている!

鳥居の形がそっくり!

とはいえ、鳥居は結構似ているものは多いので
これが決定打にはならない。
お社は47年も経過しているのでさすがに違う。
だが灯篭の上の部分も形がそっくり!

う〜ん…でも灯篭も似ているものは多いから…
これはもっと突き詰める価値がある!
そう思ったとき、寅友仲間である
吉川さんとちびとらさんに
このシーンのスチール写真を
以前見せて頂いた事を思い出した。
その写真を改めて吉川さんに見せて頂いた。
それがこちら!
一番見たかった灯篭の全体を比較してみた。
全く同じ!
そして更なる決定打が!

鳥居に彫られている「
奉獻」(ほうけん)の文字。
向かって左側が「
獻」
そして右側が「
奉」
それぞれを現在の写真と比較してみる。
先ずは「
獻」
続いて「
奉」
位置も書体も
ビンゴ!
である!!
もうここで間違いない!
確信を持った瞬間であった。
7月も終わろうとしていた
梅雨も明けきれぬ
ある日の発見であった。
つづく
次回は現場検証と更なる新事実解明!
お楽しみに。
今回も長々とお付き合い頂きまして
誠にありがとうございました。

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