アメリカのフォークソングが大好きで、レコードを買い漁り、12歳から57歳の今年まで45年間、多くのレコード、CDを聴いてきたが、いつも頭にあったのは、「白人音楽」と「黒人音楽」という「対比」だったような気がする。
物心が付き始めた時、「ジョン F ケネディ」の大統領就任演説を衛星中継の録画とソノシートで聴いた時と、先日の「バラク オバマ」の大統領就任演説を生中継で聴いた時とでは、隔世の感を禁じえない。
「ピーターポール&マリー」「ウッディガスリー」「ボブディラン」「ピートシーガー」らの「フォークソング」を聴き、次いで、「ミシシッピージョンハート」「レッドベリー」「ソニーテリー」「ブラウニーマギー」「ライトニンホプキンス」らの「フォークブルース」を聴き、徐々に「エルヴィスプレスリー」らの「ロカビリー」を聴き、
「レイチャ−ルス」らの「リズム&ブルース」を聴き、「アニマルズ」「ジョンメイオール」「クリーム」などの「ブリティシュブルース(ロック)」を聴き、追いかけるように「マディーウォーターズ」「ハウリングウルフ」などの「シカゴブルース」を聴き、間に「高田渡」「岡林信康」「はっぴーえんど」「遠藤賢司」らの「日本のフォークソング(ロック)を聴き、それから「エリックドルフィー」「チャーリーミンガス」
「ジョンコルトレーン」「マイルスデイヴィス」らの黒人ジャズを聴き、その後「シェリーマン」や「アートペッパー」などの白人ジャズを聴いた。
それと平行して、一連の西部劇映画のほかに「招かれざる客」「いつも心に太陽を」「夜の大捜査線」「ミシシッピーバーニング」「ウッドストック」「マルコムX」「ブルースブラザース」「カラーパープル」など、黒人と白人の対立や共感などを描いた映画を観てきた。
公民権運動を背景にした音楽や映画を観たから私が何かを判ったとは言わないが、
いつも「自分の立ち位置」を確かめたい衝動の中に居たような気がする。
20歳頃に親に盾を突き、ある種の友を失い、ある種の友を得た。
40歳を目前に、仕事を失いかけ、新たな仕事を発見し、それに取り組んだ。
60歳を目前にして「アメリカは建前(理念)を通した。」が「私は建前(理念)を通せるのだろうか?」
それ以前に「私に建前(理念)はあるのだろうか?」という疑問が頭を擡げる。
走り書きで、書く事ではないのだが、書き留めておきたかった。

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