マキキ聖城キリスト教会が神さまから期待されている事は、ハワイのみならず、日本(高知)のみならず、日本全国いや究極は            世界宣教であると位置図けています。 HI96814 829pensacola St TEL.808-594-8919 

 

MAKIKI Board  HOPE

ようこそマキキ日記へ




マキキ教会115歳。
お誕生日には、お煮しめ、お赤飯、ケーキのメニューでの愛餐会。神さまの号令のもと、働く者たちの間には平和があります。
"令和" 。
5月からの新元号にも主の介入を感じます。
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2019/4/26

過越祭  HOPE

マキキ教会堂にて「過超祭のキリスト」と題しWorld Mission Outreach の創立者ヘンリー.ダーリン,マタリタ宣教師からユダヤ人祝祭はキリストの最後の晩餐と深く関わってるとの事。

ヘンリー宣教師のお話は実にユニークで私達を見つめる目力も凄くて気が付くと皆吸い込まれて夢中になってました。何せ早口で通訳の藤浪先生も「スピークスローリー」とお願いするもヘンリー師は熱く語って全く変わりなし。出エジブト、ルカ、黙示録を通して詳しく説明されました。

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4つのぶどう酒入ったグラスは
聖別、裁き、購い、賛美
神様と親しい交わりを伴う約束を意味してるそうです。

実際にユダヤ式過超祭を行う為、無発酵クラッカー ゆで卵、パセリ、西洋ワサビ、子羊の骨、ハルセット、塩水 私はハルセットを作りましたが、作り方はりんごのすり下ろしにクルミ粉末にして蜂蜜にシナモン少々、ミックスするだけで簡単でした。甘くて美味しい!

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参加者何人か体験してみました。
最後に過越の祭で歌う賛美で終わりました。

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2019/4/24

歴史が刻まれたカウナス  HOPE

3月中旬のロケット弾はテルアビブだったが、今回のロケット弾はテルアビブよりもかなり北まで飛んできて、ネタニアより東に数キロの街に落ちた。職場の近所でも警報が朝5時に聞こえたくらい。幸い死者は出なかったものの、幼児を含む被害者が数名。二週連続でミサイル弾を飛ばし、今回は前回よりもさらに北の街を狙った。もっと北まで飛ばせるという表明なのか?政治的に考えても宗教的に考えてもエルサレムは狙わないだろうし、あまり北を狙いすぎて万が一にもレバノンやシリアにミサイル弾が落とすなんて間違いをしたくないだろうから、とするとネタニヤなんて何もないのに案外この辺りが一番危険なのか?



翌日緊急会議があり、学長は「学校に落とされる可能性は極めて少ない(その根拠はどこ??)が、ガザからミサイルが撃たれてからここに到着するのに90秒かかるので、サイレンが聞こえたら90秒以内に学生をシェルターまで導いてください。90秒はみなさんが思っているよりも長い時間です。十分な時間です。」とのことだった。「え?90秒って長いか??」普段はふざけていてもいざとなったらちゃんと行動ができる高校生を教えている私はともかく、3歳児を教えている先生や、屋外プールの授業を担当している先生たちは不安そうだった。 続きはHPで=>
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2019/4/23

親子会 証とフラ  HOPE

E姉のどのようにしてマキキ教会に繋がったのか、クリスチャンになったのかなどを同じごろの年代の人に語ってくれました。

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お母さんたちも熱心に聞いてくださってました。
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いつもはおしゃべりが楽しいけど、魔法のフラスカートを着けると手足も耳も集中。

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10分もするとフラの素敵な音楽に合わせて体を動かし、その中に入ってしまいます。
みんないい感じ〜〜〜。
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『主に感謝します』もうあと1回もすれば発表できます。
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親子会来週は第5週で、おやすみです。
次回は5月6日です。


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2019/4/22

洗礼式、転会式  HOPE

英語部3名、日本語部3名がアラモアナビーチで受洗、日本語部に4名が転会しました。
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本日の洗礼式、転会式を感謝します!
思えば16年前、アメリカのカリフォルニア州の教会で洗礼を受けた私は、日本でその後、様ような信仰生活を送っておりました。

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この度は思いもよらずハワイでの生活が始まり、お世話をしてくださった友人ファミリーにはじめて連れてきてもらった教会がマキキ聖城キリスト教会でした。正しい教会で礼拝したい!日本語でメッセージを聞きたい!聖霊の励ましを受けたい!と願い願っての賛美と祈りを捧げました。

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この度の転会式に際して、サンディエゴでの教会が私を覚えていてくださったこと、祈ってくださっていたことに感動と感謝!そして、喜んで受けてくださったマキキ聖城教会に感謝とこれからの使命を感じます。

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2019/4/20

洗足式に感動!  HOPE

「カルバリの山の十字架」と「君もそこにいたのか」を讚美して心が震える思いの中、

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牧師先生が私達一人一人の足を洗って下さった時、イエス様から洗って頂いてる気持ちになりとんでもなく申し訳ない気持ちと、

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こんなにまで愛して下さってるのか?と何とも息が苦しくなる初めての体験でした。

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こんな私達の罪の為に十字架にかかって下さり「私はあなたを愛してるよ。何時もあなたと共に居るよ。」と約束して下さっている。だから私達も互いに愛し合う事をお約束します。

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2019/4/19

のぞみの会〜イースター  HOPE

ハレルヤ
今日もたくさんのシニアの皆さんが「望みの会」に参加されていました。

賛美に始まってお祈りをしました。。ラジオ体操もして手足を元気に動かします。おいしいティータイムではさらにお喋りが盛り上がります。
100歳を超えた方も参加されています。何より皆さんとってもお若くて、、、そして可愛いのです。

嬉しいことがありました。

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お久しぶりにK.ケイコ姉が来てくださりました。
時間が流れて、、今はむづかしい健康問題を抱えてはおられますが、笑顔が出ていました。大好きな聖歌を、手を打って喜んで歌われて、神様を賛美しておられました。

新しいボランティアも加わって下さいました。
不足しているボランティアの事を祈りに覚えてくださって「私、お箸やナプキンを配ることぐらいならお手伝いできますよ。。。。」
そして本当に望みの会に来て下さったのです!
S姉、ありがとうございます。

いつもおいしいランチにを作ってくださりありがとうございます。更に今日は沢山の差し入れも頂きました。
美味しかったですね。

これからもこの会が続いていきます様に神様にお祈りします。

ヨハネ13章1節〜〜17節をとうして藤浪牧師がメッセージをしてくださり、洗足式の様子を実際に見せてくださいました。
イエス様の大きな愛を頂いた私達は、復活なさったイエス様に心からの感謝の祈りを捧げます。

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童心に戻って卵に綺麗な色をつけたりもしました。スティッカーも貼ってみたり、、楽しかったですね。
おみやげ用の袋に、壊れないようにそっと入れて持ち帰りました。

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テーブルに飾られているお花たちが「また来週お会いしましょう〜〜」とご挨拶してくれているようでした。
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あなたの若い日に、あなたの創造主を覚えよ。
災いの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」という年月が近づく前に。

伝道者の書 12:1
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2019/4/16

egg hunt -親子会  HOPE

先生のアシスタントで一緒にダンスをしてくれたF君。なかなかやります。
出番が与えられるのは嬉しいことです。

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エッグハント用のうさちゃんのバッグ作り。
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今回は何か賞品も貰えるとか。さあ、どのバッグが皆さんのお気に入り賞?
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これは全員にいただきました。
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木陰ではいろんな話があちこちでされています。 
昨日自分はクリスチャンになったと言うお母さん。IJCCで信仰告白、本人は全くそんな風に受け止めてなかったけど、あなたはもうクリスチャンよと言われて戸惑ったと。一緒に感謝をしました。

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H姉のお休みだった今日の親子会。E姉が最後の締め。良きリーダーが育っていてくれてます。


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2019/4/14

もう1年になりました。  HOPE

C姉が召されて1年。
ケアーホームから出て外に食事に行くのが大すきでした。
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彼女を覚えてお食事会。
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今思えばもっともっと連れ出してあげてればよかったのにと残念。今、私たちは美味しくいただきましょう。大食いの言い訳がありました〜。

ちょっと京都にお花見に行ってもええかもと思ってると言って、私たちは本気でどうしたら行けるだろうかと頭をひねってるかもしれません、前にもなんどもあったように。妹さんと二人でお花見も出来たらよかったのにね〜。でも今や天国の住民。妹さんにも行って頂きたいです。


 
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2019/4/12

アニ−・ダウドと清和 物語  HOPE

RC清和高等学校の生徒たちのプレゼンテーション。自分たちで描き、バックミュージックも演奏しました。
ぜひ皆さんにも見ていただきたいです。


これは私達の清和です。
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清和は今から100年前、一人の婦人宣教師によって始められました。 ミス・アニ−・ダウド。この名前を聞く時私達は信仰による小さな働きが大きな実を結ぶことを思い出すのです。    

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アニ−・ダウドは1861年11月6日、ミシシッピ−州で生れました。彼女は教会の学校で音楽を教えていて、ピアノが上手でした。彼女の家は「ミシシッピ−州ダウド」だけで郵便が届いたと言われるほどの名家でしたが、彼女が26歳になった時、伝道の働きのために海外に行きたいという願いを持ちました。
そして日本の片隅の高知を訪れることになったのです。

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1887年日本に来たダウドは最初高知英和女学校の教師になりました。しかしこの学校は10年足らずで廃止になり、彼女はもっぱら僻地(へきち) 伝道をしようと決意しました。西は東津野村、東は安芸市、北は土佐山村まで歩いて伝道したのです。その途中で見掛けた不幸な少女達を彼女は忘れることができませんでした。この少女達がきちんとした教育を受けること、そして信仰を持つことを願ったのです。                    

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1901年ダウドは二人の貧しい少女を引き取って教育を始めました。ここに清和の前身である「高知女学会」が誕生したのです。そして、次々に貧しい家庭の少女達がダウドのもとに連れてこられました。売られそうになったところを助けられた生徒もいたと言われています。彼女達は貧しいために全く教育を受けていませんでした。 

この少女達と生活を共にしながらダウドは勉強だけでなく生活に必要な全てのことを教えたのです。                                                               
高知女学会は家庭のような学校で、全部の生徒が寮で一緒に生活していました。毎日、朝夕に礼拝をまもり、日曜日は全員で高知教会に出席しました。当時としては珍しかった音楽教育にも力を入れ、女学会の出身者は全員ピアノやオルガンがひけたと言います。英語も重要な学科と考えられていました。午後の手芸の授業では刺繍を習いました。生徒達の刺繍作品はアメリカに送られて学費の補助に役立ちました。

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経営は困難でしたが、生徒達は必要なものを十分与えられていました。しかしダウド自身は質素な生活をしていました。洋服は安い質流れ品を仕立て直し、いつも靴下を繕っていました。
                                            
だんだん規模が大きくなって、経営が難しくなりました。1915年ミッションの経営に移ることになりました。そして1924年アメリカの教会の婦人達の献金を受けて、新校舎が建てられました。しかし落成した3年後、この校舎は煙突の故障から全焼してしまいました。この時、ダウド66歳でした。 一人の死者も出さない機敏な避難の様子が新聞記事に残されています。  
                              
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校舎の焼失にがっかりしたダウドでしたが、彼女の働きに共感する多くの人々の支援によって翌年には校舎を再建することができました。彼女の献身的な働きが沢山の人に知られていたことがわかります。

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すでに宣教師としての定年延長をしていたダウドでしたが、高知女学会が高知教会の経営に移り、清和女学校となることが決まって、ついに帰国の決心をしました。1937年4月12日。高知港。沢山の人が桟橋に見送りにつめかけました。人生のほとんどを高知のために捧げたダウド。その話す言葉は土佐弁丸出しでした。高知市の高見山に墓地まで買ってありました。しかし神様は高知での働きをこれまでと定められ、ダウドを帰国させたのです。高知での50年の献身的な働きを残して彼女は日本を去りました。76才のことでした。

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ダウドの帰国後は清和女学校と改め、松山高(たか)を校長として高知教会の経営で学校は続けられました。その後しだいに戦争の色が濃くなり、校舎の接収(せっしゅう) や生徒募集停止命令など、キリスト教主義の学校を続けていくことは多くの困難を伴いました。

礼拝をやめなければ学校の認可が取り消されるかもしれないという危機に直面した時、校長に問われた生徒たちが迷わず礼拝を続けることを選んだという話は有名です。戦争後の1947年には石井謙亮(けんりょう)が校長に就任しましたが、校長夫人はあの最初にダウドに引き取られて教育された二人の少女の内の一人、菊池千鶴(きくちちづ) でした。       

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ダウドは帰国後はミシシッピ−州にある老婦人ホ−ムに暮らしました。目も耳も不自由になり、足も弱っていましたが、ホ−ムの中でバイブルクラスを開いたり、寝たきりの老婦人達をベッドに訪問して回ったりしました。1960年100 才で天に召されるまでダウドの一生は神様につかえる生活でした。

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毎朝のチャペルの賛美に心を合わせ、祈りを共にする清和の姿は今も昔も同じです。100年前に一人の宣教師のまいた小さな種が大きく成長し、実を結んで今、私たちの清和がここにあります。このような小さなところから始まった働きを神様は祝福して豊かな実りを与えて下さいました。その神様の導きと守りを信じて、私たちは清和第2世紀の歩みをつづっていくのです。
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