2010/2/11
故・扇畑忠雄 twitter(2010)
<今日の話題>
★今朝は曇り。夕方は冷えてきて小雪ちらつく。
★妻は久し振りに中学時代の同級会に出席して旧交をあたため合ってきた。渡されたしおりの中に亘理町立逢隈(オオクマ)中学校校歌が掲載されていた。その校歌は作詞・扇畑忠雄(作曲・福井文彦)であった。妻は短歌に興味がなかったが、歌人・扇畑忠雄氏の話を時々話題にしていたので、しおりを見て初めてそうだったのかと驚いたそうである。
★扇畑忠雄の略歴:1911年〜2005年7月16日。歌人、国文学者。東北大学名誉教授。現中華人民共和国・旅順出身。広島一中、広島高校、京都帝国大学文学部国文学科卒。19歳の時「アララギ」に入会。斉藤茂吉、土屋文明、中村憲吉に師事。1946年東北アララギ会「群山」を創刊。第二高等学校、東北大学教授を歴任し、万葉集の研究を専門とした。
★1993年に、「冬の海その他」で第29回短歌研究賞授賞、その他数々の授賞の後、日本現代詩歌文学館第2代館長も勤め、晩年には河北新報の「河北歌壇」の選者を務めるなど仙台や東北での功績は真に顕著であった。享年94。叙従四位。
★今朝は曇り。夕方は冷えてきて小雪ちらつく。
★妻は久し振りに中学時代の同級会に出席して旧交をあたため合ってきた。渡されたしおりの中に亘理町立逢隈(オオクマ)中学校校歌が掲載されていた。その校歌は作詞・扇畑忠雄(作曲・福井文彦)であった。妻は短歌に興味がなかったが、歌人・扇畑忠雄氏の話を時々話題にしていたので、しおりを見て初めてそうだったのかと驚いたそうである。
★扇畑忠雄の略歴:1911年〜2005年7月16日。歌人、国文学者。東北大学名誉教授。現中華人民共和国・旅順出身。広島一中、広島高校、京都帝国大学文学部国文学科卒。19歳の時「アララギ」に入会。斉藤茂吉、土屋文明、中村憲吉に師事。1946年東北アララギ会「群山」を創刊。第二高等学校、東北大学教授を歴任し、万葉集の研究を専門とした。
★1993年に、「冬の海その他」で第29回短歌研究賞授賞、その他数々の授賞の後、日本現代詩歌文学館第2代館長も勤め、晩年には河北新報の「河北歌壇」の選者を務めるなど仙台や東北での功績は真に顕著であった。享年94。叙従四位。
故・扇畑忠雄
逢隈中学校校歌
岸辺の流れおおらかに
阿武隈川の光る水
真理の星にただずみて
われら平和の里に生く
正しき者よ真心をもちて
つらぬかん 学びの道を
(二、三は省略)
<扇畑忠雄の辞世短歌(平成16年2月)>
わが街の
豊かになりし
しるしとぞ
浜の光の
かがやかに見ゆ
3
2010/2/12 14:38
投稿者:Noboyama 散人
2010/2/12 13:10
投稿者:バード
散人さんへ
老いてなほ美しきものを吾は見む若かりし日に見えざりしもの
扇畑忠雄先生の詠まれた 歌を思い出し乍拝見しました
其の頃矍鑠として歩まれる先生に従い 吟行に行つた事なども懐かしく偲ばれます。有難う御座います ばーど
老いてなほ美しきものを吾は見む若かりし日に見えざりしもの
扇畑忠雄先生の詠まれた 歌を思い出し乍拝見しました
其の頃矍鑠として歩まれる先生に従い 吟行に行つた事なども懐かしく偲ばれます。有難う御座います ばーど
コメントありがとうございました。
私自身はお会いしたごとがないので存知上げておりません。河北歌壇の選者であったことは記憶にありましたが、当時は全く短歌に興味がありませんでした。家内も母校の校歌の作詞者が扇畑忠雄であったことを今回の同級会で初めて知ったようです。若いときの作詞なのですね。