竜のはなし

宮沢賢治氏は「自己犠牲」や「捨身の心」を底辺に据えて描いている作品が多くある。それは彼の生命観、倫理観、宗教観の現れであると思うけれど、私たちが人として生きる上で決して歪めてはならない基本的な姿勢がそこにあるようにも思います。
この『竜のはなし』(原題:手紙一)の大きなテーマは「捨身の心」だという。彼の作品の『よだかの星』や『銀河鉄道の夜・サソリの火』でもみられるテーマです。児童文学者の花岡大学氏は次のように説明しておられる。この国の教育が、長い間喪失している「あるべき精神」=「捨身の心」、いいかえれば「やさしい心」。その「やさしさ」とは、「優美なやさしさ」ではなく「強靭なやさしさ」つまり「自」を「他」に投入していさぎよく「死」に、いささかも、「はね返ってくるもの」を求めないといった、凄まじい精神のことだと云う。
う〜ん。わからないことはないが,そうした精神を求めようと立ち上がることは容易なことではない。私はこの「強靭なやさしさ」を求める前にやらなければならないことがあるなぁと、独り善がりに感じたことは、心から悔いる事、宗教用語をあえて用いるなら、悔い改め・悔悛-かいしゅん-というのだろうか。全く心を改めること(全くの方向転換)が必要ではないかと...。
「この竜はあるとき、よいこころを起して、これからはもう悪いことをしない、すべてのものをなやまさない、とちかいました。」
この一文の誓いにブレがあれば「強靭なやさしさ」はもとより、多くの苦難に耐え得ることはできないのではないかと思いましたし、ある意味「やさしさ」とは、困難や苦難に耐え、越えてこそ生まれるものなのだろうと感じました。
戸田幸四郎氏が描く絵が迫ってくる...。目に飛び込む赤々さが、わたしの心を抉ってくる...。絶対的な「やさしさ」の前に只々、畏怖を覚える。今の私にはこの「強靭なやさしさ」を持つことは正直、難しい。身を裂くほどの苦痛に耐えられそうにないから...。頑な心の今の自分ではあるけれど、いつしか竜のように「生き方」を見つめ直しながら、「強靭なやさしさ」を追い求めていくことができたらと思う。

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