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小森清貴 solo Album『カトレア』発売中 詳細

小森清貴 Twitter @kiyotakakomori
連絡先 kiyotakakomoriofficial@gmail.com

林君へ

2016/5/31 | 投稿者: komori

 ガンディから公式にアナウンスがあったので、書きます。5月23日、ex悲鳴、雨の花束の林恒平君が亡くなられました。32歳という、余りにも短すぎる生涯でした。

 24日の夜に下北沢にライヴを観に行った帰りに、山口やまぐ伝いで彼の訃報を聞き、僕はすぐにやまぐに電話し、下北沢の街角で人目も憚らず泣き崩れ、電話口にやまぐに「ふざけんなよ!なんであんな才能のある人間が死ぬ理由があるんだよ!」と怒鳴り散らしてしまった。やまぐ、すまなかった。でも感情の捌け口を誰かにぶつけずにいられなくて、気が付けば電話の向こうのやまぐも泣いていた。

 その後ガンディから電話があった。電話の向こうのガンディは妙に落ち着いていて、だけど少し疲れてるというか、なんだかポカーンとしている様子だった。思い返せば、先月末にガンディに対バンで会った時既に林君は危篤状態だったわけなんだけど、それをガンディは知っていながら、僕らには言わずのままでいたんだよな。その重荷からようやく解放されたような穏やかさで、すすり泣く僕を「馬鹿のせいで、すまんね」となだめてくれた。

 26日朝、壊れかけ企画の前に林君の告別式に行ってきた。最後のお別れの時、勇気を振り絞り薄く目を見開き垣間見た林君の顔は、やっぱり男前だった。でも、まともに顔を直視し続けることは出来なかった。会場の片隅には彼の使っていたギターやエフェクターが置かれていた。そのどれもが主に先立たれて、泣いているような印象を受けた。ガンディと雨の花束の谷口君の弔辞が立派だった。部外者の自分がわんわん泣いてみっともないと思ったが、どうにも涙を堪えることが出来なかった。

 場内でかかっていた雨の花束の音楽が素敵だった。そのどれもがあわよくばめちゃくちゃ売れるんじゃない?これ?というくらいのクオリティの高さで驚きつつも、そこから聴こえてくる林君の歌声は、どこかあらかじめ死を知っていたかのような、そんな狂気じみた純粋さがあって、そしてこの純粋さはロックミュージックの史実が明かすように、この世界の中で生き長らえ保たれ続けることがいかに困難なことか、というのを裏付けるかのような、そんなふうにも聴こえてしまった。これは僕の勝手な事後的な解釈なのかもしれないけれど。



 林君は2011年に悲鳴で、そして2014年に雨の花束で、2度、壊れかけのテープレコーダーズを企画に呼んでくれている。互いが面識を持つようになったのはそれからだったんだけれど、僕は林君のことをもっと昔から知っていた。

 2005年だから、もう11年も前になるだろうか。はじめて行った円盤ジャンボリーで、新進気鋭のノイズバンドとして登場した悲鳴は、その最早音楽なのか否かという程の暴力的なパフォーマンスで、とにかく尖ったものを欲していた当時まだ大学2年だった頃の自分のハートを鷲掴みにした。特に、サウスポーかつ金髪という取り分け目立つルックス、自作の謎のエフェクターでその名の冠するが如し悲鳴のようなノイズギターを弾く(というか掻き鳴らすというか・・・)林君の姿をまるでカート・コバーンのようで、とにかく格好良かった。

 それから何度か悲鳴のライヴは普通に客として観に行ったりもしたことがあるのだが、どうにもこうにもそのバイオレンスなステージングの印象から、おっかない人達に違いないと勝手に思い込み(笑)、あと自分にとってはアンダーグランドシーンのヒーローみたいなバンドでもあったので、恐縮してしまい話しかけたりする勇気が持てぬまま、隠れファンとして月日が流れてしまった。

 それから大分時が経った2011年に、悲鳴が壊れかけを企画に呼んでくれた。実はこれが悲鳴の最後のライヴとなった日であったということを、今さっきガンディのブログを見て知った。そっか、その後ってそういえばやってなかったのか。それで、この時もまた意気地なしの自分は林君やガンディにろくに想いの内を話しかけられもせず、またモジモジしていたんだった。でも、それもそのはずで、悲鳴ってバンドは常にもうこのライヴでこの人達死ぬんじゃないか?ってライヴをやるバンドで、全体力気力を注ぎ込みも抜けの殻のようになった終演後のメンバーに、とてもじゃないけれど気軽に話しかけにいくことなんて出来なかったんだ。

 そしてまた更に時が経過し、2014年には雨の花束のレコ発に壊れかけを呼んで頂いた。林君が自分達のことをしっかり認知してくれていることが、とても嬉しかった。30歳を越えてから音楽専門学校に行き出した林君が、10歳以上も年の離れた同級生達と組んだバンド雨の花束は、フレッシュな可能性に満ちていた。なにより、今まで破壊的なノイズギギタリストという印象の強かった林君の、メロディーメーカーとしてのセンスが光るバンドで、ボーカルもすごく良いし、彼の才能の振れ幅の広さに驚かされた。その時になって、ようやく面と向かって会話をした気がする。

 で、その年のうちに今度はひょんな流れでガンディと仲良くなり、ライヴにも来てくれたりして、僕はようやく彼等に10年来の悲鳴の隠れファンだった想いの内を打ち明けられることが出来たのだった。

 昨年には1度、林君とガンディと僕の3人で吉祥寺で呑んだ。神の国へようこそ!!と雨の花束と壊れかけで、いつか出来たらいいね、なんて話をしたような。してないかも(笑)でも、僕はいつかそんな3マンが出来たらなと思っていた。

 けれど、思っていただけで、動き出さなければ、すべては時既に遅し、ということになってしまうんだよな。もう何度もそういう後悔を繰り返しているはずなのに、またやっちまった、と悔やんでいる。

 音楽が瞬間の芸術であるように、「その時」というものは、もう2度と、訪れない。


 結局、林君と親しく話した記憶は僕にとっては数える程であったし、彼の太く短かった人生の中で、僕、小森清貴や壊れかけのテープレコーダーズの占める割合なんて、勿論悲鳴や雨の花束のメンバーに比べたら、些細なものなのかもしれない。でも、僕は憧れだった人に、企画に呼んで貰えたことを今でも光栄なことだったと嬉しく思っているし、彼の耳に自分達の音楽がちゃんと届いていたことに対し、音楽をやっていてよかったと思っている。

 2011年の悲鳴の企画の時、林君がMCで「小森さん、あなたのことを尊敬している」と、確かそんなことを言っていた記憶がある。上段じゃないぜ、尊敬していたのは逆に僕の方だったし、畏まってさん付けされる筋合いもないぜ!と思ったものだ。 でも、僕は林君のような繊細で美しい心をもった人間に自分達の音楽が伝わってくれて、嬉しかった。そして、結局はこういった傍から見たらパーソナルにも思われるだろう想い入れってやつがね、どうにもこうにも自分を動かす原動力になってしまうんだよね。

 だから、僕は彼を裏切りたくないからさ、続けなきゃ、嘘になってしまうんだよな。それは同時に、彼に憧れていた、あの頃の自分にとっても、ということです。

 

 なので、まだまだ、頑張ってみるよ。



 あんまり打ち解けて酒を呑み交わすことも出来なかったけど、林君、あなたのことを僕は大切な友達だと思っています。



 やっと、友達になれたのになあ。


 残念だけど、あなたの残してくれた音楽や、記憶の中で、目を瞑ればまた何度でも会えるような、そんな気がするよ。

 
 どうか、お元気で。

 

 バイバイ、ロックンローラー。



2016年5月31日 小森清貴
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