ギターでそれをするから
2015/5/5 | 投稿者: komori
…とは、西宮灰鼠さんのことばだが、ここ数日のうちにいくつもの素晴らしいライヴを観る機会に恵まれ、自らが音楽というこの崇高な瞬間芸術を選んだこと、それがまた嬉しく、誇らしく思えた。演奏の瞬間や、音が鳴っている時のその事実の中に、すべたは集約されている。僕らの持つ意味作用の言語の多くはそこでは無化されるだろう。裸になり、感覚に最も近付けたことばのみが、うたとしての言語となる。音の中にすべてが現出する。それを己が提示出来ぬなら、その程度の器というまでだ。
言わなくとも、鳴らされた音の方が、雄弁だ。僕らは多弁になったところで何も実を結ばないのではなかろうか。世界のざわめきを包括した静寂を聴いていたい。ありがとうも、おめでとうも、ごめんなさいも、さようならも、ギターでそれをやる。
5月になりました。今月は重大なライヴがいっぱいです。ひとつひとつ、全力で頑張ろうと思います。
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言わなくとも、鳴らされた音の方が、雄弁だ。僕らは多弁になったところで何も実を結ばないのではなかろうか。世界のざわめきを包括した静寂を聴いていたい。ありがとうも、おめでとうも、ごめんなさいも、さようならも、ギターでそれをやる。
5月になりました。今月は重大なライヴがいっぱいです。ひとつひとつ、全力で頑張ろうと思います。
