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無声映画にまつわる話

2014/6/9 | 投稿者: komori

 ここ最近、無声映画の素晴らしさに心惹かれている。先月カウリスマキにはまって一挙に何本も観てたのだが、その中にあった「白い花びら」というサイレント作品(1999年の作品ですよ)の美しさに心打たれ、掘り探り色々と鑑賞している。
 
 サイレントといえば、なんといってもやはりチャップリンに尽きる、いつ何時観ても本当に面白い。映画がサイレントからトーキーに移行しようとする過渡期に、チャップリンがトーキーを「彫刻に色を塗るようなものだ」と言って批判したのは有名な話だが(無論、周知の通りその後チャップリン自身もトーキーを作るわけだが)、これは何で読んだか忘れてしまったのだけれど、チャップリンは映画とは言葉の壁(それはつまりあらゆる壁、国や文化、世代、性別… すべてのことに該当するのです)を乗り越えるものだという持論を持ち、言葉や文字を解さぬ人にも楽しんでもらえるように、あの独自のパントマイム的なコミカルな動きに辿りついたという。なるほど、確かにチャップリンの映画はストーリーを解せぬ幼い子供でもきっと楽しめるに違いない。それでいていくつになっても観れる深みを兼ねそろえているのだから、本当に凄い。
 
 ところで、先日カウリスマキが影響を受けたというF.W.ムルナウ監督の「サンライズ」というサイレント作品を観たのだが、いやあ、これが本当に素晴らしい作品で。話の筋はなんてことはないのだが、言葉がないが故の表情や身振りのひとつひとつに心底はっとさせられ、特にヒロインの笑顔の無垢な可愛らしさには観る度涙がちょちょ切れそうになる。

 そして、気付いた。人間は言葉を用いずとも、表情や身振りのひとつで、これほどまでにコミュニケーション、伝達というものが可能なのだということを。これは何も映画に限った話ではないのだが、僕らはどうにも過剰すぎるのかもしれない。
 
 人はもっと深い部分で意思を交えることが出来るのかもなあ、と、無声映画を観ながら学ぶ今日この頃であります。






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