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語るのではなく、生きるということ

2012/7/22 | 投稿者: komori

こう、ブログを書こうとする。昨日のことを思い出す。昨日とは何も、時系列的に観た実の昨日とは限らない。蓄積された無数の昨日と呼ばれた時に対し、思いを巡らす。

ただ、そこには名称や固有名詞の残骸のみ。もしくは風景。いや、それは風景と呼ぶには余りにも躍動を伴わぬ、単なる、画。線と色でのみ構成された。

手繰りよせた昨日には、確かに昨日手にしたはずの、確かさ、感覚だとか、熱量、強度、
そういった類のものが、なぜ損なわれてしまうのか。それは記憶力や想像力で賄えるものですらなく、どうしても、僕等は忘れてしまうのだ。

この忘却という作用が、僕等の過ちの起爆剤ともなり得る。だが、しかし何も否定的な効果ばかりではない。

僕等は忘却により、またさめざめとした今日を迎えることが出来る。あの狂熱の中心で、自己を消失させてもよかったはずの、だが、決してそうは至らなかった僕の、荒涼とした、今日、振り出しに戻されるような感覚、だがその非情さこそが、継続というもののひとつの姿であり、その業とも言うべき先天的な喪失感こそが、僕等をハングリーな精神足らしめる。

記述による、想起、瞬間の感覚の言語化。それらは、決して不可能なことではない。

だが、心に留めなければいけないことは、失った(「今」はということ。元来、決して失ってなどいないのだが、利便性のため、そう書いておこう)あの狂熱を再び取り戻すには、それは言語の枠組みの中で行われるのではないということ、遠巻きにする「あの」を外せ、今正に森羅万象が隣接しているという事実に耳を傾け、僕等は狂熱を語るのではなく、それを生きる、のだ。

何度でも。





レコ発大阪編より、
本編ラストに演奏した
「見たことないうた、聞いたことないそら」


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