続・街の灯
2011/7/26 | 投稿者: komori
23日はsalsaレコ発イベントに出演。超満員で大盛況にて終了。salsaのメンバーの音楽愛があれだけ多くの人を集結させた、素晴らしいイベントだった。
ベースメントかスリーに行くと、大概スズケンに逢う。帰り道だからつい寄ってしまう、と彼は口癖のように言うが、本当に音楽が、ライヴハウスが、好きなんだな、と思う。
だけど、そんか享楽的な動機の中にも、どこか陰りがあって、居心地の悪さを感じ、何もかもに中指を突き上げているような、そんなsalsaの曲に、たまらなくパンクを感じる。
壊れかけはスリー側のトリを務めさせて頂き、お客さんも沢山集まってくれて、燃焼するライヴが出来た。一回、一回、燃焼。それを肝に銘じている。
salsa、ありがとう!これからもよろしく。同時代に生きて、本当に大切な同胞と呼べるバンドの、ひとつ。
その後、終電で帰宅し、エイミー・ワインハウスの訃報を知り、ショックを受ける。そんなに熱心にアルバムを聴いてた分けではなかったが、彼女の魔性の如き艶かしさを持った歌声は、はじめて聴いた時衝撃を受けた。まるでビリー・ホリデイかのような、悟りきった、冷めた色気があった。素晴らしいミュージシャンだったと思う。
こころがざわつき、いても立ってもいられず、とっさに新曲「街の灯」の歌詞を、その日のうちに、ブログに書いた。記す、という行為によって、自分の中に忍び寄る黒い影のようなものを引き離し、客観化が出来る、と思ったから。
今日になって、評論家の中村とうようさんが投身自殺をしたニュースも知った。元XのTAIJIが自殺したのも、ショックだった。音楽界に、悲しいニュースが相次いだ。
ふと、3年前に自ら命を絶った、友人のことを、思い出した。いや、思い出した、なんてことはない。その友人との記憶が、片時も脳裏を横切ることなど、なかった。これからも、きっと。思い出す、より、もっと近くにこびり付き離れぬ記憶。
「街の灯」という曲は、そんな星になろうとした者たちへの、決して届け得ることのなかった鎮魂歌として、書き上げた。
伝達の不可能性を前提に。共有され得ぬもの。
楽曲のポップさ、軽快さ、同時にそれを強く僕がバンドの演奏に求める所以は、彼等のような深みに到達し得ぬ自身を隠蔽する臆病さの現われなのかもしれない。
しかし、僕は、そういった逆説的な軽薄さをもってして、
音楽に挑みたい。
まやかしの光の側でありたい。
それが今僕の思うポップス、なのかもしれない。
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ベースメントかスリーに行くと、大概スズケンに逢う。帰り道だからつい寄ってしまう、と彼は口癖のように言うが、本当に音楽が、ライヴハウスが、好きなんだな、と思う。
だけど、そんか享楽的な動機の中にも、どこか陰りがあって、居心地の悪さを感じ、何もかもに中指を突き上げているような、そんなsalsaの曲に、たまらなくパンクを感じる。
壊れかけはスリー側のトリを務めさせて頂き、お客さんも沢山集まってくれて、燃焼するライヴが出来た。一回、一回、燃焼。それを肝に銘じている。
salsa、ありがとう!これからもよろしく。同時代に生きて、本当に大切な同胞と呼べるバンドの、ひとつ。
その後、終電で帰宅し、エイミー・ワインハウスの訃報を知り、ショックを受ける。そんなに熱心にアルバムを聴いてた分けではなかったが、彼女の魔性の如き艶かしさを持った歌声は、はじめて聴いた時衝撃を受けた。まるでビリー・ホリデイかのような、悟りきった、冷めた色気があった。素晴らしいミュージシャンだったと思う。
こころがざわつき、いても立ってもいられず、とっさに新曲「街の灯」の歌詞を、その日のうちに、ブログに書いた。記す、という行為によって、自分の中に忍び寄る黒い影のようなものを引き離し、客観化が出来る、と思ったから。
今日になって、評論家の中村とうようさんが投身自殺をしたニュースも知った。元XのTAIJIが自殺したのも、ショックだった。音楽界に、悲しいニュースが相次いだ。
ふと、3年前に自ら命を絶った、友人のことを、思い出した。いや、思い出した、なんてことはない。その友人との記憶が、片時も脳裏を横切ることなど、なかった。これからも、きっと。思い出す、より、もっと近くにこびり付き離れぬ記憶。
「街の灯」という曲は、そんな星になろうとした者たちへの、決して届け得ることのなかった鎮魂歌として、書き上げた。
伝達の不可能性を前提に。共有され得ぬもの。
楽曲のポップさ、軽快さ、同時にそれを強く僕がバンドの演奏に求める所以は、彼等のような深みに到達し得ぬ自身を隠蔽する臆病さの現われなのかもしれない。
しかし、僕は、そういった逆説的な軽薄さをもってして、
音楽に挑みたい。
まやかしの光の側でありたい。
それが今僕の思うポップス、なのかもしれない。
