京都で日本マンガ学会の大会があるということで出かけてみました。

初日の会場は京都精華大学。研究発表会です。
3会場に分かれていたので、いちばん理解できそうな、
作品論方向の研究発表会場(第1会場)に陣取って、5人の研究発表を聞きました。
最初の発表は「人造人間」について。
人造人間物の歴史とその形象の表現史をたどるものです。
映画『メトロポリス』、田川水泡『人造人間』での表現を物差しとして、
手塚治虫の諸作品を経て
男性型と女性型に扱いが変化してゆく図式がわかりやすく、
また
女性型に対する視線を「覗き」とする見解は、
旧著『少年少女のクロニクル』で変身シーンについて述べたあたりと関係するかな、と興味深く聞きました。
2番目は永井豪『ハレンチ学園』をテーマに「擬似イベント」をキーワードに『キッカイくん』などの「マガジン」連載作品をたどって構築された作者論でした。
ブ−アスティンやマクルーハンなどを通じてメディアを回路とするfiction(作品)とreal(作品公開空間)との相互作用についてのあたりに刺激を受けました。
ここで筒井康隆の存在が浮かび上がったのも、面白かったです。
3番目は背景描写の作画方法をめぐる研究で、
描写の緻密と省略との関係を「ノイズ」という見方で対比させている点に魅かれました。
背景となる街の描写において電線・電柱などの夾雑物を描くか、描かないか。
夾雑物を「ノイズ」とし、人間の情報受容の段階でフィルタリングされる「除去」行為を考えに入れた上で、
その除去を作者が行うか、読者が行うか、ということなのだとうけとめました。
4番目は『聖☆おにいさん』を扱って翻訳という観点からの研究でした。
発表者は言語学方面に足場を置く方のようです。
原作・翻訳の受容層を翻訳条件というところから設定して
独版、仏版、日本版との比較を具体的に説明していたのでわかりやすかったです。
5番目は秦の兵馬俑の発見がどう秦・漢時代を舞台にした諸作品の絵に影響を与えたかという内容で、鎧甲に注目して、その構造を押さえた上での絵画の分析がなされていました。
研究内容としては「考証」と呼べるものでしょう。
今回のだけでは、それが諸作品とどうかかわってゆくのかは見えませんでしたが、
こういう研究は「考証」が重ねられて初めて全体像が見えるものです。
5人の発表が済んだところで、第2会場のラウンドテーブルに向かいました。
京都精華大学の5人の大学院生による「日中マンガ文化」の比較です。
ここでは「縦スクロール」という概念を初めて知ることができました。
中国でのマンガ史上において日本マンガがどう関わり、現在に至ったかの説明で始まり、ジャンル、投稿、役割語、キャラクター造形とショートに考察結果が報告されます。
個人的に興味があったのはキャラクター造形を女性キャラの平均顔で比較したもので、
日本のロリ系かわいらしさ指向と中国の麗人傾向との対比が、さもありなん、と面白かったです。
でも一番印象に残ったのは五人の院生さんたちの元気さ・明るさです。
学問の楽しさが伝わってきました。
懇親会はパス。
翌日。
会場は国際マンガミュージアムとなって、ミュージアムのイベントの一つとしてマンガ学会大会シンポジウムがある、というスタイルなのでしょうか。きちんと入館して、先生方のおはなしを伺いました。
伺ったのは「デジタル時代のマンガ〜作家の視点から〜」の方で、
いろいろな知識を得ることができました。
最初の司会者による概説で、マンガという表現体における「デジタル」の位置づけがなされたのですが、
その報告に国文学系の研究者として対峙したとき、
われわれがパソコンを、とどのつまりタイプライターとして使っているにすぎないことが自覚されました。
マンガ作家さんたちは画材(絵を画く道具)として扱い、それを通じて読者とどう回路を拓くか、という問題点が設定されるんですね。
その後、日本の状況として、パネラーすがやみつるさんからデジタルマンガ史が説明され、続いてパネラ−具本媛さんから韓国の状況として「Webtoon」の解説がありました。
ここで前日知った「縦スクロール」が出てきました。
このスクロールの問題は、作品構築(コマ割り)の根本にメディアが関わる事例としてとても関心を深めて聴きました。
具さんの報告は、韓国を見ることで、さらに前日の日中比較を予備知識として、
韓国・中国でも展開されるようになった日本式マンガの歴史を考えさせられました。
最後のパネラー、実作者の高浜寛さんの報告では、実作現場の声が聴けました。
そこではある意味「アナログ回帰」という側面が見えるのですが、
回帰できる土壌があるのが日本マンガの特質なのではないか、
と思った次第です。
手塚を一つの画期として大展開した日本マンガの達成レベルが、
中国・韓国に渡って受容される、
そのタイミングですでにデジタル技術はかなりの次元で表現媒体として到達しており、
そこからスタートする日本式マンガ表現は、
おそらく回帰するアナログ時代を持たない。
これは、たまたま金曜日からアニメ『こみっくが〜るず』の一挙配信版を見ていて、
主人公たち(高校生マンガ家)が、紙にペンで作画していたのに時代錯誤を感じていたのですが、
「ときわ荘」を想起させるような、このアナクロ感が、
向こうには成立しえないのだろう、と思ったわけです。
と、まあいろいろと刺激を受けたマンガ学会大会でした。
午後にも編集・流通面からのシンポジウムがあったのですが、
食事に出て疲れたので(暑かったしぃ)残念ながら聴けてません。
でも、たまに他所の学会にでるのは楽しいですね。

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