
時は昭和49年(1974年)、僕は小学校3年生でしたが、この年はどんな風だったのかと言うと、「幸福駅」行きの切符が流行し、ルバング島から元日本兵の小野田さんが帰国し、ストリーキングが街を裸で走り回り、長嶋茂雄が現役選手を引退し、少年達は空き地でゲイラカイト(凧)を飛ばし、ブルース・リーの真似をして叫び声を上げていました。
そして昭和49年に日本中を巻き込んだのがオカルトブーム&超能力ブームでした。ユリ・ゲラーがテレビでフォークを曲げたり折ったりして(スプーンじゃなくフォークでした)日本中を驚かせ、映画「エクソシスト」が大ヒットし、ドサクサで「ノストラダムスの大予言」まで流行りました。
テレビではオカルト番組が大ヒットし、心霊やネッシーやツチノコや超能力少年少女や宇宙人や地底人などがゴッチャ混ぜに紹介され、僕も学研が発売した「なぜなに学習図鑑」の「なぜなに世界のふしぎ」などを読んで「宇宙人と遭遇したらどうしよう」などと要らぬ心配をしていました(「なぜなに世界のふしぎ」は相当なインパクトがある本でした。幼少時のトラウマになっている人も多いのではないでしょうか)。
さて、前書きが長くなりましたが、その頃に流行ったのが「ホラーマンガ」です。特に僕らの間で読まれたのが、つのだじろうの「恐怖新聞」「うしろの百太郎」、それから楳図かずおの一連の作品でした。
僕もこの手のマンガを沢山買って、クラスメイトと「恐いコワイ!」と言いながら読んでいました。僕は特に臆病だったくせに、恐い物見たさで良く読みました。
しばらく続いたオカルトブームも沈静化し、コックリさんをやっている友達に向かって、頭の良かったノブヒサ君が「そんなものはジコアンジだよ」と放った言葉と共に僕らの間でもブームは終わりました(「自己暗示」という言葉を教えてくれたノブヒサ君は、現在教師をしています)。
僕も大人になり、オカルトよりも日常の社会の方がずっと恐い事を知り、この手の話を恐がる事はなくなりました。しかし何でも恐がった少年時代は純粋で楽しかったような気もします。変な言い方ですが、夢がありました。
今ホラー系のマンガを読むとしたらどの辺がいいでしょうか。少年少女時代を懐かしみつつ恐がりたい場合は、つのだじろうの「亡霊学級」、夏の夜に涼しくなりたいなら、山岸涼子の「汐の声」「わたしの人形は良い人形」などがいいのではないでしょうか。もちろん部屋を暗くして、電気スタンドだけで読んで下さい。
あれだけ臆病だった僕も、今はホラーやオカルトで恐がる事が出来なくなってしまいました。これはなかなかツマラナイ事です。恐い話はきっちり恐がれる方が、世の中楽しいと思います。
オマケですが、僕の実家で飼っている犬の名前は「ゼロ」と言います(僕が名付けました)。これはディズニー映画「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」に出てくる犬の名前でもありますが、ここから名付けたわけではありません。答えは「うしろの百太郎」に書いてあります。