「ギタリストVS美女シリーズ/土屋昌己VS奥野敦子」
邦楽 全般

ヤング・ギター誌1980年4月号の「ギタリストVS美女シリーズ」で、土屋昌己さんと奥野敦子さんの対談が載っています。土屋昌己さんといえば一風堂、奥野敦子さんといえば「イリア」の名前でジューシィ・フルーツに在籍していた事で知られます。
この記事の貴重なところは、まだイリアさんがジューシィ・フルーツの前身である「BEEF(ビーフ)」に在籍していた頃の対談だというところです(この数ヶ月後にジューシィ・フルーツの一員としてヒットを飛ばします)。
サブタイトルは「宇宙人の落とし子とタイムスリップお姫様のお話」です。

面白いのが記事中イリアさんの呼び名なのが「イリヤさん」な事です。最初は「イリア」か「イリヤ」かあまり明確ではなかったのでしょうね(今でもそうかもしれませんが)。
土屋さんも一風堂のデビューアルバムが発売されたばかりですので(僕も当時買いました)、誌面では「土屋クン」などと呼ばれていて初々しいです。野音で赤いタイツをはいていた話や、小学校の生徒会長をしていた話、173cmで47kgな話、土屋さんには振り付け師が付いていてそれが西城秀樹も担当している先生という話など、なかなかスゴイです。
イリアさんもBEEFに誘われたけれど学校を卒業する時期だったので就職するかBEEFのメンバーになるか悩んだ話、ガールズでは振り付け師(なんとピンクレディーの振り付け師と同じ)が付いて鏡張りの部屋で無理矢理練習をやらされた話、近田さんはやっぱり厳しいという話など、興味深いです。
イリアさんがイエスやEL&Pやキング・クリムゾンのコピーからギターの道に入った話などもありますが、音楽関係の話は僕のサイトの「書き殴りライナーノーツ」に加筆いたしましたので、そちらでお読み下さい(
こちらです)。他にも色々と加筆や追記をしております。
数年前に驚いたのは、吉川団十郎さんのシングル「戦え!ジャイアント馬場」での叫ぶようなリード・ギターは一風堂結成前の土屋さんが弾いていたという話です(土屋さんがラジオで話していたそうです)。
驚いて団十郎さんに聞いてみると、当時団十郎さんのバックバンドでドラムを叩いていたのが藤井章司さん(後に一風堂に加入)だったので、その関係じゃないかな、と言っていました。
確かに「戦え!ジャイアント馬場」のリード・ギターを聴いてみると土屋さんが愛用していたストラトキャスターの音ですし、土屋さんらしいプレイです。
「戦え!ジャイアント馬場」はiTunes Music Storeでダウンロード購入できますので、興味のある方はどうぞ(激しいロックンロールです。アレンジは佐藤準さん)。
全然関係ないですが、この号にはピーター・バラカンさんの「間違いだらけのロック英語」という連載が載っていて、とても面白いです。例えば「ミックスダウン」を「トラックダウン」と言うと絶対に通じないので注意!とか、テープレコーダーをテレコとは言わん!ラジカセもゾッとする!とか、やめてもらいたいのは「エフェクター」だ!「エフェクツ」で十分通じる、ありもしねえ言葉を発明すんなって!などと書いてあります。でもこの本が発売されてから26年を経た今でも「エフェクター」って言ってますね。
他にコンサートの告知を見ると、値段が涙が出るほど安い!ホワイトスネイク来日公演が中野サンプラザや渋谷公会堂でS席3,000円、B席では2,200円、ジャパンの来日公演が日本武道館でS席3,000円、B席では2,000円。ヒカシューとP-MODELのジョイントコンサートが中野サンプラザA席1,800円、B席1,300円(このジョイントにピンと来た人はかなり古くからのテクノファンです。
詳細)。
まあ四半世紀以上も前の価格と現在は単純な比較はできませんが、当時は来日公演でもLPレコード程度、国内アーティストは1,000円台のライヴがたくさんあったので、僕もいっぱいライヴ見てました。良い時代だったなあと少ししみじみしました。