今日、一人の兄弟が、すがすがしい顔をして、私のところにやってきた。聞けば20年仕事をしながら吸っていたそうだ。それを久しぶりに吸ったら2年悩んでいる苦悶感から解放されたという。つまり必要悪というわけだ。しかし道徳的にどうであっても、たばこを吸いながら主の恵みを受けられるかどうか、私は知らない。ただ一つ言えることは、もし我慢できるのなら十字架を負って、あえて苦しみの道を歩もう、と言いたかったけれど言えなかった。あまりにすっきりした顔をしているので…ああ 主よ、知恵をください。
パチンコをやって依存症になっている兄も同じだ。やはり聖潔のために十字架を負うべきであろう、と心の中では思っているものの、そう簡単に済めば何も言うことはない。
僕はそんなことでいきり立つ牧会者になりたくない。
【清くなければ、だれも主を見ることができません】へブル12:12b

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