聖霊には、主に、力と、きよめと、導きの働きがある、と思う。今日は、その力について学ぼう。私はかつて、聖霊に満たされ、力を持っていた。しかし大罪を犯すに及んで、その力は取られてしまった。以前は30人くらいの聖徒に説教しても何ともなかった。しかし今は8人が精いっぱいだ。罪を犯し悔い改めたのちは、きよめの聖霊が働きだした。私は苦難に会い、大変苦しんだ。しかしそれはきよめの聖霊の働きであり、私の内面が変わってきた。以前は一人の魂など、何とも思わなかった。しかし、今は導きの聖霊の光を受けて、今日はここに行け、明日はここに行け、と示されるのである。たった一人の魂が、世界全体より、まさって思えるのである。これは勝利と言わねばならない。もはや、大衆に説教するよりも、ひとりに伝える方が私にとって大切となってきた。罪からでも、それを十字架で赦し、ひとりを愛することができるようになった自分を、聖霊様に感謝しなくてはならない。これだけのことに30年かかった。
『神がわたしたちに与えてくださったものは、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。』2テモテ1:7

1