何のお金にもならないのに、このように、時間と、労力を振り絞って、恵みを分かち合っているのには理由がある。それは主の十字架の贖罪がわかって、毎日が、嬉しくて嬉しくて仕方がないからだ。この喜びを伝えたい。そう思っている次第である。本当に書くことが楽しくて楽しくて仕方がないのだ。牧会もそうだ。私は謝礼をわずかしかもらっていない。でも牧会することに召命があるとともに、嬉しくて嬉しくて牧会している。お金もどんどん減っていく。でもそれで死んでもよいと思っているくらいなのだ。これは嘘ではない。事実なのだ。ひとりでも多くの方にこの恵みを知っていただきたいがために。世で働きながら開拓伝道している方々の気持ちがよくわかる。残念ながら薬でむしばまれたこの体では働きようがない。栄養もろくにとっていない。でも、それにありて余るほどの恵みが私にはある。
『その栄光と徳によって、尊い、素晴らしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びをまぬかれ、神の御性質にあずかるものとなるためです。』Uペテロ1:4

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