自分は、祈りもそんなにしていないし聖書も読んでいない。教会にも通っていない。こんなんでいいのかな。と不安になって来る方も多いと思う。そこが信仰を働かせるときだ。「自分は大丈夫。自分は守られる。」という信仰。これが必要だ。なぜなら助け主聖霊様がともにおられるからだ。私たちは罪びとに過ぎない。ただ十字架の贖いによって赦されているものである。だからどんな生活をしていても、十字架の贖罪で赦されている、という信仰をもって歩んでいきましょう。あなたは赦されているのです。解放されているのです。心配性は律法的生活を生み出します。これに入り込まないようにしましょう。心配性は巧妙に心に入り込んできます。十字架を見上げつつ、祈り、ゆだねていきましょう。
『キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。』1ペテロ3:18

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