今日、久しぶりに、聖霊の臨在、すなわち、爽快感を味わった。コロナが始まったころ、否3年前、父が召されたころから、私は臨在で苦しんでいた。ただ、主の十字架だけで歩んでいた。ところが今日起きたらどうだろう。心の奥底から喜びが。どうやら同労者の兄弟が、真剣に、私のことを祈ってくれたらしいのである。持つべきものは良き友だと思った。考えてみれば、聖書を読めるのも、祈れるのも、すべて恵みである。自分の力では何一つできない我々であった。
『友はどんなときにも愛する者だ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。』箴言17:17
※恵みがないと、ブログ一つ書くのも聖書のみ言葉を探すのに苦労する。

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