その答えは厳粛です。ある日、神が御声をくださって、「あなたは同病の人に対して自分の経験したこと、すなわち、主の愛と十字架による罪の赦し、を語り伝えなさい。」とありました。10年間やってみて、あることがわかりました。これは統失の方に福音を宣べ伝えるには、自分が統失であることが不可欠だな、ということです。どの病や障害でもそうでしょうが、その病の本質を知るには、その病にかからなくては分かりません。家族なら、あるいはわかるでしょう。しかし、健常者には決してわからないと思うのです。その証拠に、私は健常者のキリスト者の悩みや苦しみが全く分かりません。だから今は、統失者だけの牧会に絞っています。米国には、こういった、偏見、差別などは全くないそうです。時より誘惑にかられます。統失差別撤廃のために働いた方がいいのではないかと。しかし同労者は、私をいさめます。純さん、それは永遠の命と何の関係もないよと。
らい病人の島であるモロカイ島に言ったダミエン神父は、「あなた方らい病人は救われなくてはなりません。」と言いましたが誰も救われません。そして、やがて彼もライ病にかかりました。「私たちライ病人は救われなくてはなりません。」全員が救われてしまいました。
『倒されますが、滅びません。』2コリント4:9b

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