キリスト信仰の中心は、罪の赦しと罪の罰からの赦しであります。十字架によって多くの罪、大きな罪を赦されたものは、多く主を愛する者となります。問題はこちらがイエスに目を向けているかであって、それさえできていれば、イエスの十字架で赦されます。私はクリスチャンになってから不貞の罪を犯しましたが16年たって、イエスの十字架による赦しがわかりました。なぜそんなに時間がかかってしまったかは、神を侮ってはいけないことを学ばせたかったのでしょう。しかしイエスの愛はずっと私に注がれていたのがわかります。そして最も大切なことは十字架だ、と分かった時に、解決がありました。覚えていただきたいことは、キリスト信仰の中心は罪とその罰からの赦しである、ということです。私は残された人生、このキリストの十字架の愛と、赦しを宣べ伝えてまいりたいと思います。
『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。』ヨハネ8:11
『しかし、罪の増し加わるところには、恵も満ち溢れました。』ロマ5:20

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