あれだけほしかった霊的覚醒が下った。人の事はよく祈れるし、聖書がよくわかるし、賛美には力がっこもるし、言うことがない。しかしこれらは水物であるから、注意しなければならない。もとはと言えば、昨日、伝道したのがよかったのだろう。もっとトラクトを蒔き、辻ぜっぽうをし、ギターで賛美歌を歌いたいと、と思っている。思えば、霊的危機にあった私を救ってくれたのは、いつも伝道であった。やはり伝道者は、伝道せねばあかん。もっとも私一人だけが恵まれていても、人が救われなくてはしょうもないが。よい伝道者になりたい。
『聖書に、「穀物をこなしている牛に、くつこを懸けてはいけない」、また「働き手が報酬を受けることは当然である」と言われているからです。』1テモテ5:18
聖書では、聖霊が下るとき証人となる、と書いてあるが、今の時代、聖霊はもう下っているので、無条件で伝道するべきではないか?

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