今日は、4時に起きて祈り、6時まで祈って越谷に向かい、8−10時まで礼拝と交わりをして12時に帰ってきた。母には一万タラントと百デナリ、の話をしたが、今は何を聞いてもわからない、と言われてしまった。一体母はイエスを信じる祈りもし、洗礼も受け、聖霊のバプテスマまで受けたのだが、どうも私の方に母が救われた確信があったりなかったりする。ここで教訓。親族の救いは全て委ねよ。と熱心にに祈れの二つだ。つまりゆだねて祈れということで、やがて私も母の救いを確信できるようになるだろう。
『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』ローマ10:10
実は20年前、母は救われていたのである。しかし私の不機嫌さにあきれてつまずかせてしまったことがある。これが引っかかって母の救いが信じられなかったのが今示され悔い改めた。何となく理由がわかってきた。純

2