これはまだわからないが、自分が伝道者として召されている気がしてならない。伝道者というと、何か会衆の前で福音を語る姿を想像するが、そんなんじゃなくて、孤独でいるおじいさん、おばあさんの家に行き一緒に礼拝を持たせていただくようなものだ。この思いは昨秋からあったものだが、それが主の愛宣教会をやめさせるサタンの思いではないかと思い、かなり無理をして教会に行っていた。それがここのところ、教会に行くのもようやっと。とうとうひどい風邪をひいてしまった。今の私にはまだわからない。こういう時は今の道を進むのが道理だが、それもままならない。残された羊さんには二人の教職がいる。それともう一つ思いがある。ここ狭山の家を解放し、礼拝にささげることだ。こうなるとゴチャゴチャだ。結果は神にお任せしよう。
『あなたの道を主にゆだねよ、主に信頼せよ、主が成し遂げてくださる』詩37:5

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