『もし罪はないというなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにはありません。』Tヨハネ1:8
最近はもう罪から離れられたかなあ、と思っていたが、全然そうではなかった。心の中でよくないことを考えたり、律法で人を傷つけたり、よく考えてみると悪の権化のようなものだ。母にしても信仰告白をし病床洗礼も授けたのに喜びがないとはいかんぞや?そんなときY牧師に電話したら、純さんTヨハネ1:8だよと答えが返ってきた。そうか、母の鬱は罪の赦しを体験できていないのだな、と思った。これを行って話そうと思う。私たちは誰でも滅ぶべき罪を持っていて当たり前なのだ。いや、それを体験しないとたとえ救われていても、救いが味わえるものではない。罪があって当たり前ならばその罪を一つ一つ告白していけばいいものだ。

1