純のキリスト信仰ブログ

キリスト教プロテスタント福音派
主の愛宣教会東京 牧師

 
皆様こんにちは。主の愛宣教会の牧師、純です。題名をクリックすると15文お読みになれます。私たちの教会は統合失調症を中心とした心や体にハンデのある方でキリストを信じる者の集まりです。「十字架の愛に生きる」が教会の標語です。皆さま一度おいでください。健常者ももちろんokです。毎週金曜日に次週の礼拝場所、時間をお知らせいたします。 jesus77@p1.s-cat.ne.jp 080−4073−3242

2019/10/17

あなたが願う前に、神様は、あなたに最もよいものを備えています。だから第一番目には神様の願いを知ることです。祈りや、御言葉や、環境で神の願いを知るのです。そうすると喜びが来ます。私は大教会を目指していましたが7人の病者とともに信仰を立てあげていくことが神の願いだとわかりました。
第二番目にそのことが成就するよう神に願い祈りましょう。自分の場合は第一番目の結果、祈りが深くなりました。成就するのが楽しみです。
大切なことは神の願いを知ることです。

『信仰とは望んでいる事柄(神の与える望み)を保証し、目に見えないものを確信させることです。』へブル11:1
0
タグ: イエス様 十字架 

2019/10/17

今朝、朝、起きたら信仰のしの字も頭にない。これはまずい、と思い説教テープやインターネットを聞きまくった
危機がさって信仰が回復した。もしこのままいけば、私の命はどうなっていただろう。幸い回復してきたが、おそらく信仰の油注ぎが限りなくゼロに近くなったのだろう。このままいけば滅びだ。こんな時御声が…聖書から個人でイエスを見出しなさい。そう、私たちは聖書にあるイエスキリストを受
けとらなければならない。純

『私はこう確信しています。死も、いのちも、み使いも、権威あるものも、今あるものも、のちに来るものも力あるものも、高さも、深さも。そのほかどんな被造物も、私たちの主イエスキリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。』ローマ8:39
0

2019/10/17

主イエスキリストの愛、これが私たちの人生のすべてであります。私たちが主イエスを忘れていても、彼は私たちを覚えていてくださいます。悲しむときのいと近き助け、であります。そして2千年前、わたしたちがまだ生まれる前から、私たちのために十字架に付けられよみがえりました。ここにあいがあるのです。どうか人に頼るのではなく聖書の中からイエスを見つけ出してください。これは仮想ではありません。事実です。

『わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。』ヨハネ14:6
0
タグ: イエス様 十字架 

2019/10/16

80年代だったかに、ピーターワグナー氏などによる、献身神学か、賜物神学かでの論争がはやったらしい。私は今までの献身神学(信者が献身していくのを見て喜ぶ)を使って牧会していたが、どうにもぱっとしない。これは賜物神学(信者の賜物を生かした牧会)を使うしかないな。と思ったのはつい最近である。そこでロマ12:6−8にある賜物を使って牧会することにした。祈るとだれだれさんの賜物は何か、少しずつわかっていく。聖書から7種類の人がいることがわかる。

預言する人・・・神の御心を述べる 霊的
仕える人・・・実際的奉仕に尽くす 実用的
教える人・・・聖書を研究し教える 知的
勧めをする人・・・個人の成長を励ます 心理的
与える人・・・物質的援助をする人 物質的
監督する人・・・指導や支持を与える人 機能的
哀れみを示す人・・・個人的、感情的支えをする 情緒的

これを見抜いて伸ばしてあげると本人は輝きだす。もちろん賜物ミックスも考えてよい。
0
タグ: イエス様 十字架 

2019/10/15

「あなたは教会に7人定着するまで牧会しなさい」と神の示しがあった。今まで10人になったり5人になったりしていたが、それではおのおのの賜物が発掘できない。主よどうかわたしを使ってください。あと一歩だ。

『私たちは、与えられためぐみに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。すすめる人であれば進め、分け与える人であれば惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。』ロマ12:6;7;8
1

2019/10/15

意識(信仰)の能力にはすごいものがある。たとえば一昨日からPCの一部がおかしく、私は、これはウイルスにやられたな、と勝手に意識していた。しかし今日になって、ケーブル会社に電話すると、それはまったくの間違いで、私の操作ミスであることがわかった。さらに以前から肝臓に違和感を感じ、これは肝臓がんの可能性ありだな、と思っていたが例の「一粒の麦」で死が怖くなくなった。早くイエス様のところに行きたいとさえ思っているが、これも間違いかもしれない。明日検査を受ける。このようにして意識(信仰)はまったく人間の運命を変えてしまう。私は運命論者なのではなく、意識(信仰)しだいによってはいくらでも幸福な、人生を過ごせると信じている。

『ユテコという一人の青年が窓のところに腰をかけていたが、ひどく眠気が指し、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三がいからしたに落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りてきて、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて『心配することはない。まだ命があります。』といった。・・・人々は生き返った青年を家に連れて行き一方ならず慰められた。』使徒20:9−12

死をも生かしてしまうパウロの意識(信仰)を見ましょう。純
0

2019/10/15

Mルターが罪と赦しの同時体験なることを言った。すなわち、罪がわかれば赦しもわかるということだ。私ごときもそれを体験した。だんだんと自分の罪が大きくみえるようになっていく。そしてそれが頂点に達したとき。あの十字架の赦しがわかるのである。救いの体験である。(別にそれがわからなくてもイエスを信じれば、その十字架の功績によって人は救われるが)体験がほしい。@知識A信仰B体験となっていくのだ。@では救われないがAで救われる。しかしBがほしい。伝道できるからだ。

『しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。』ロマ5:20
0
タグ: イエス様 十字架 

2019/10/14

昨日夜、引き出しを整理していると、なんと50万の通帳とカードが出てきた。喜んだ私は近くのコンビニへ、しかしその途中で「お前は貪欲だ」とのみ声、私は「サタンよ退け、退け」といいながら、ATMへカードを入れて、出てくるかな、いくらかな、と、なんとゼロ。アッれー

『金銭を愛する生活をしてはいけません。今もっているもので満足しなさい。主ご自身がこういわれるのです。私は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない.』へブル13:5

0

2019/10/14

あまり大いなるものにならないほうがよいと思う。いや大いなる者を目指すこと自体は悪いことではないが、あまりにリスクが激しすぎる。ダビデを見てください。罪を犯してからの彼の晩年はなんと悲惨に満ちたものであったでしょう。

『ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともに折られた。』Uサムエル5:10

万軍の神主がともにおられたのに彼は大罪を犯した。
それでは私たちはどう生きればよいか?一言で言ってよく生きることである。私はそれを父から学んだ。そんな私たちでも罪を犯してしまう。ただイエスの十字架にすがるほかはない。純
0

2019/10/13

サムエルはイスラエルの裁き司として、預言者、または、士師として任命された。彼の初期の働きは、対ペリシテ人のようなものが多かった。契約の箱を取り戻し、イスラエルをさばき、悔い改めさせ、ペリシテに勝利させた。

『そこでサムエルは一つの石をとり、それをミツバとシェンの間に置き、それにエベンエゼルという名をつけ「ここまで主は私たちを助けてくださった。」と語った』Tサムエル8:12

サムエルの働きはまだ始まったようなものだった。しかし、それまで起きたことを彼は感謝した。或るいはその感謝によって人生の終焉にあったサムエルの働きが伸びたのかもしれない。信仰の転機にあるとき、神に感謝しよう。

旧聖歌292 今日まで守られ来たりし我が身
     つゆだに憂えじ、行く末などは
     いかなる折にも愛なる神は
     すべてのことをば良きにしたまわん 


注)なお台風については19時現在死者26人、行方不明者24人となっています。亡くなった方のご遺族に深いお慰めがありますように。行方不明者の方が早く見つかりますようお祈りしています。
0
タグ: イエス様 十字架 

2019/10/13

どうも礼拝を2週に一度にするのは牧会者として首をかしげる。これはやはり倒れるまでヨハネ12:24を握って続けるべきか?(実は毎週家で倒れている)
0

2019/10/13

一夜明けて、台風はいかがだったでしょうか?我が家はとたんが取れてしまった。でも今回は地方自治体ががんばってくださり、比較的に軽症ですんだのではないかと思います。
さて、己の死、というと猪突猛進で進んでいくことを想像させられますが、撤退すべきときは撤退するものです。それが真の己の死でしょう。私たちは今日は場所が休みで礼拝できません。お休みにしました。それから、これは本当に残念なのですが、肝臓の状態がさえません。水曜日に医者に行って、場合によってはMRIなどを受け、教会も2週に1度にしたいと思っています。苦渋の選択ですがやむを得ません。このように、人生がんばるだけが脳ではないということが、よくわかります。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに着なさい。私があなた方を休ませて上げます。』マタイ11:28

『一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。もし、死ねば、豊かな実を結びます。』ヨハネ12:24
0

2019/10/12

信仰とは意識、あるいは認識である。あなたの思うようになってしまう。よい意識を持てばよいことが、悪い意識を持てば悪いことが起こってしまう。だから台風から守られたければ、台風には負けない。消滅するという意識が必要なのである。今6時を過ぎて急に風と雨がすさまじくなってきた。しかしそんなことはどうでもよい。私やあなたの意識が、この台風から勝利する、というものになっているかどうかなのだ。だからイエス様は、ガリラヤ湖の暴風の時

『恐れないでただ信じていなさい』マルコ5:36b

と言われたのだ。だから私たちもこの台風から守られるように、恐れないでただ信じていよう。信仰の対象はイエス様である

己の死と台風の死を両立させるものである。純
0
1 2 3 4 5 | 《前のページ | 次のページ》
/117 
 
teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ