気ままなひとりごと (不思議なことにキョーミアリアリアリアリ〜〜〜〜〜〜〜〜)
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2005/8/31
これ以上
いいものなんてできるのだろうか?
でも
振り返ると
できてたりする

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2005/8/31
こころのなかの時計を見る。
あぁ時間がない・・・
さぁなにをしようか・・・
時間があまる。
時間があまっていることに焦り
時間がないことに焦ってる
こころの矛先はどこを向いているの?
だれかに
そのひとに縛られてるの?
でも違う
ぼくで縛ってる。
忘れちゃうね☆
わかってるんだど^^
そんなに食べたくない
かたやきそば食べてるぼく(笑)
そんなに多くは食べれないよ・・・
残しちゃった
みんなに合わせているの?
人と違うのが怖いの?
そんなにいらないんだ・・・
そんなにいらない
みんなにとっての普通が
ぼくにとって無理になることもある。
かた焼きそばの量(笑)
時間
きっと頭のなかにある時間の期限
もう時間だから・・・
そうやって気にして
急いじゃう・・・
味わうこと忘れがちになりそう
かた焼きそば
今日を支えてくれるもの
かた焼きそば
そんな命の焼きそば
目の裏にある目標や計画な時間の期限
ぼくはそんなの無視したい。
約束道理の人生なんて知らない。
作ったのなら
もう一度作れる
今。
命のもの
感じつくしたい
どうせ食べたいるのだから
せっかくの今だから。
ここにいたい
かた焼きそば780円とともに(笑)
愚痴ぽい感じにもなってきてもうた。
1泊2日したときの仲間の内の何人かと
昼飯を食べにいったときのこと。
時計の針は何時を指している?
ぼくはぼくに問いかける。
それは時間じゃないよ。
それは針。
それは数字。
ほんとうは
時計の数字は
今時今分今秒
時計の針は
回っていても
いつもそこを指している。
変わりゆく
変化とともに。
時間がない・・・
じぶんがダメになるのが怖いんだ。
怒られるのが怖いんだ。
協調を合わせて・・・
他人に合わせて・・・
時間に合わせて・・・
それはきっと作られた世界。
もとはきっと違う。
もとはきっとシンクロ
もとはきっとわたしとあなた
もとはきっと流れ
もとはきっと気にしない 気ままに 気そのもの

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2005/8/29
1泊2日のセミナーに行ってきた。
NPOでの就労支援セミナーに。
ぼくはそこのスタッフとして行ったのだけど
サポーターでもあり、受講者でもあった。
初対面の人など、7+4+9=20人くらいと会い
一夜をともにした。男女別の部屋だった。
(いっしょだったら楽しそ〜だったかも)
ディスカッションというかトークの場面があり
働くとはどういうことか?
ということなどのテーマがあって、それを話し合った。
刺激的な話し合いになった。
いろんな見方があった。
ぼくは違う見方、意見に反応していて、抵抗感を感じていた。
「違う違う〜ぼくが思うのは・・・・」
そんな思いが出て来て、別の見方の意見を受け容れる
こととの難しさと受け入れることで見方の幅、広さが
広がるんだなということを体験した。
教えようとするばかりに
聴くことを忘れがちになったり
周りが見えにくくなったり
周りの人を見て
自分がその人だったり
人とふれあっていく中で体験していくなかで
じぶんを見ることもあるということが
いろんな人がいるなかでの体験のなかであった。
同じスタッフのなかで
ぼくのことを遊びでこんなふうに呼ぶ人がいた。
「おっ、ラガーマン」
ぼくは全然ラガーマンっぽい体じゃない。
たぶん朝食のときに
ぼくが
「あそこにいるラグビーの人たちに(ぼくが)混ざったら
負けるな〜」
とか言ったのがきっと、それだ〜。
あと笑ってもらえるのは気持ちいいんだなぁ〜
ってのを体験した。
その朝食のとき
50才くらいの女性が
「最近年のせいか肉をあんまり食べないんだよね〜
やっぱり魚が多くなる」
と言って
ぼくは
「ぼくも肉をあんまり食べないんですよ
やっぱり年のせいか^^」
とちょっと言ってみたら
アハハハハハハ
だった。
え〜?!
けっこう笑ってる予想外に〜。
こっちまでうれしくなる。
こういう
感じのが自然に近いのかも知れないと思った。
(食べてる場所も自然の中の建物の中)
なんでこういうことが起きたのだろう?
ぼくはなんか
自分が気づいたことを教えよう、伝えよう
みたいな感じで話して伝えようとすることが
メインというか、効果的というか
そんな気がしていた。
それは在る程度今も変わってはいないんだけど。
でもそのとき思ったのは
タオを生きよう、タオをやる、タオをある
という思い・感覚を念頭に置いて(今ここの体に置いて?)
朝食しようという思いでいった。
ぼくのなかでのタオっていうのは
自然を生きるとか
日常を自然に楽しむとか
それか、小さなこと、目の前にあることが
宇宙という感じ?(これはちょっと違うかも)
そんで
結果なんか知らん(というか忘れてる)
今、その場その場で
今のなかの小さなことを自然に無理せず楽しむ
ぽぽぽぽぽって感じ。
その思い感覚が
なにげない冗談を無理せず自然に引き出て来た
ということなのかもしれない。
ちょっとおもしろいひと(男性)がいたのだけど
そのひとが言うのだ。
「無理しないでくださいね〜」
ぼくはそのひとから
「無理しないでくださいね〜」
をもう一度聴き
ぼく以外のひとにも言っているようで
そして5、6回は聴いた。
そこまでなんで?と。
どうやら、口癖のようだった。(と感じた。)
それがなんともおもしろく(愛らしく?笑)感じた。
今回のことで
感じたことは
「体験」
「無理せず自然に日常こそを楽しむ(タオ的)」
というのを感じた。
行く前に、
本を読むことに飽き飽きしてつまんなくてしていて
体験に飢えていたようだった。
飽き飽きしていたときは
「このつまんなさ飽き飽き感はきっと
お役立ち体験だ、味わっとこ〜」
と思って感じていたせいか
体験する
ということのおもしろさを
ギャップもあり体験できて知れた。
かといって
無理して自然にできず
前を見て、今を見れない状態にならず
日常の今その場その場を
ぽぽぽぽぽな感じで
無理せず自然に生きる
日常こそを楽しむ
ということの
おもしろさも
少しだけど、体験できた・・・・気がする?
体験
と
無理せず自然に、日常こそを生きる楽しむ(タオ的)
今後どうなるのか〜?

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2005/8/26
台風が来た〜!
といってもぼくは案外
ど〜でもよかったりしちゃう。
台風が止んだときに
屋上へ行った。
風が吹いている・・・
夜の風。
歌を歌う。
テキトーに。
ひとりで。小さい声で。
身振り手振り付けながら。
しかし
テキトーに歌えていない。
感じたままを歌えていない
最近・・・。
なにか伝えようとして
歌っているのだ。
ひとりしかいないのに。
自分しか。
そういうとき
つまんない。
伝えるために歌う歌は
どこかつまんない。
感じたまま歌う歌は
キモイ。
いやいや・・・気持ちいい。
周りから見たらキモイかも・・・。
歌詞になってるようでなってないし
意味のない歌詞だったり
意味のある歌詞と意味のある歌詞が
分け分かんなく出て来て
意味が分かんない歌詞になってることが
けっこうある。
次になにを言うかじぶんでもわかんない感じ。
そんな伝えたいがために歌う歌と
感じるままに歌う歌
が入り交じって歌った。
いや・・・混じっていないかも
交互って感じに近いかも。
いろいろな雑念、考え事をしつつ
歌を歌ったり。(どれもちいさい声でね)
雑念・考え事
(この歌のことをブログに書こうかな〜
いやいや、こんなことを考えていては今を楽しめんっ
感じるんだ・・・考えるんじゃなくて感じるときが・・・
あっ〜また考えてる・・こんなんじゃ〜・・・)
そんなとき風がちょっと強めに吹く。
ふぅ〜〜〜〜〜
体で風を感じた。
体風。
体のなかを風が横切るように。
(よ〜し感じれた・・あっまた考えてる言っている・・)
頭のなかの雑念・考え事は止まずです。
でも思うことがある。
考えず
感じるを生きるには
まず考えて知ることで
感じるを生きることが出来やすいんじゃないかって。
知識として頭で考えて知って
それを
胸まで降ろして胸で感じて感知して
またそれを
腹まで降ろして体でそのもの化する。
それか
左脳で知って
右脳で感じて
直感脳でそのもの化
とかも言えそうで言えない(笑)

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2005/8/26
電車男を見た。
「こんなにうまくいくはずないよ〜」
その思いを破る。
「でもこれホントのことらしいよ」
実話は力があるな〜と思った。
そんなにうまくいくはずない・・・
現実はね〜といっjほhdohえdweぅぉhjonc○□△・・・ という思い。
実話らしいよ〜。
主人公が
かっこよくないのだ。
それがかっこいい。
弱さ丸出しなのだ。
それが強いなぁ。
それは正直無理じゃないか〜?
を
可能にしていく男
泣きながら。
まっしぐら。
エルメスたん。
(たん とか付けるのに躊躇あり エルメスも)
ある意味おたくもすごいなぁと思った。
多くの人からダサいとかキモイとか思われても
やりたいことをやっている。
おたくのかっこうして町を歩ける?
っていわれたらできないっ><
周りの視線が気になる、怖い。
こわ〜
ビビリ橋とかQさまでもやってる。
度胸だめし系
勇気ふりしぼる系
ふははははは〜
勇気を出すんだじぶ〜ん
完璧じゃない きゃつ(じぶん)が
好っきやねん。じゃん。

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