気ままなひとりごと (不思議なことにキョーミアリアリアリアリ〜〜〜〜〜〜〜〜)
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2005/5/27
また出会いがあって
初対面?(に近い)のひとと
話して、食べに行った。
こころの内面について
生き投合、統合な感じ。
出会いがあるってことは
自分が出会いに行っている
ということでもある
ということに
ちらっと気がついた。
そして
出会いがあると
つぎの
出会いが出て来る。
これは
ありがたい。
ありがとう。
わくわくの糸をたどると
スムーズに展開していく
というのに似ているかも知れない。
わくわくかどうかはわからないところも
あるけど
でも、動いているときの方が楽しい感じはする。
最近ちょっとずつだけど
動けてきてる。それはうれしい^^
小さなことをやっていくと
動きやすいのかも知れない。
身近なところから。近所から。町から。
自分から。
アマゾンのインディアンの写真集をみた。
おっぱいまるだし なのだ(^^)
笑顔がとてもステキでおーぷんな感じがした。
こどもは、ちんこ でてて裸で土のうえで遊んでいる。
家は森の中にあって
長屋が円になって丸くなっている作りになっている。
そして、どこからでも丸見えな作り。
そこの写真集に書いてあった言葉で
「世界はひとつだからまるい家のつくりになっている」
のようなことが書いてあった。
(たぶんちょっと違うことが書いてあったと思うけど。忘れた。)
そして
そこにはない言葉がある。
それは愛と言葉らしい。
好きはあるらしい。
なんで愛という言葉がないんだろう?
言葉にすると嘘な感じがするからかな
言葉にしなくてもあるのを感じているからかな
あるのが自然で空気みたいだからかな
愛は言葉で伝えることを超えたものだからなのかな
愛という言葉で傷つけ合わないためかな
逆に
なんで愛という言葉があるのだろう?
愛という言葉を使っているのだろう?
憎しみや恐れや罪悪感や恥があるからなのかな
愛をじぶんと切り離して見ているからかな。
愛を忘れたからかな。
それを思い出すきっかけが愛っていう言葉なのかな。
愛ってなんだろうって思うきっかけが愛っていう言葉なのかな。
うーん。
考えてもわからん
感じてみる。
うき〜!

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