殺人や放火など重大な罪を犯しながら心神喪失・耗弱で不起訴や無罪になった人に入・通院を命じる「心神喪失者医療観察法」が施行(昨年7月15日)され、1年余りが経過した。法案審議の段階から「精神障害者の人権を侵害する」との批判が高まり内容を修正、3国会での審議の末に成立した経緯がある。入院施設の建設が大幅に遅れ、見切り発車の形で法が施行されたが、運用実績から制度の問題点が浮かび上がってきた。
■治療内容
◇鑑定入院中の規定なく
法務省によると、法施行後今年5月末までに検察官が審判を申し立てたのは299件で、うち225件について裁判所が決定を出した。入院決定が122件と最も多く、次いで通院決定の60件、医療を行わない決定35件、申し立ての却下8件。
日本弁護士連合会医療観察法対策部会事務局長の伊賀興一弁護士は「入院決定と、それ以外の決定(計103件)との均衡が取れている」と評価し「法案段階で入院要件が修正されなかったら、もっと入院が増えていたはず」と指摘する。最初の法案では「再犯の恐れ」が入院の要件とされていた。しかし、精神科医や日弁連などから「治安のための長期拘禁につながる」との批判が起き、入院要件が「社会復帰のための治療の必要性」に修正された。伊賀弁護士は「必要のない入院を強いる保安処分的な運用には一定の歯止めがかけられた」と話す。
審判は非公開で、最高裁も個別の内容については公表していないが、審判対象者の付添人を務める弁護士から日弁連が集めた情報によって課題が明らかになってきた。
その一つが、法案の審議段階から問題となっていた鑑定入院中の医療のあり方だ。裁判所は同法による医療の必要性を判断するため、審判に先立ち、3カ月を限度に対象者を鑑定入院させる。しかし、法には鑑定入院中にどのような治療をすべきか、具体的規定はない。伊賀弁護士によると、法施行直後は、鑑定入院先の病院が「あくまで鑑定のための入院」として治療に消極的なケースがみられたという。
鑑定入院医療機関は全国で215カ所。日本精神神経学会・法関連問題委員会の委員長で、多摩あおば病院の富田三樹生院長も鑑定入院先で治療内容にばらつきがみられる点を指摘。「鑑定入院の時期こそ症状が急性期で、十分な治療が必要。法の不備で、どこまで治療に踏み込むかで現場が混乱し、対象者の審判や社会復帰に影響するのは問題だ」と批判する。
■専門病棟
◇全国わずか8施設
厚生労働省は当初、対象者が入院する30床の専門病棟を法施行から3年間で全国に24カ所建設する計画だった。しかし地域住民の反対が相次ぎ、法施行に間に合ったのは国立精神・神経センター武蔵病院1カ所。同省は、既存の病棟の改修で対応できるよう昨年7月に15床の施設を容認し、11月には14床以下の小規模施設も認める通知を出した。
しかし、現在まで開業にこぎつけたのは武蔵病院を含め国立の8施設計175床だけ。厚労省は対象者が毎年300-400人出るとの想定に基づき、700床程度の入院病床が必要としてきた。同省はさらに国立6施設、公立2施設の建設を進めているが、計画は完全に頓挫した形だ。
病棟建設の遅れは、対象者の処遇にも微妙な影を落としている。施行当初、武蔵病院で沖縄の対象者を受け入れたことに象徴されるように、対象者は居住地から遠距離の施設に入院することが少なくない。家族や知人と離れた遠隔地での入院が対象者の治療や社会復帰にマイナスになることは厚労省も認める。
◇社会復帰支援、調整官も不足
一方、対象者の社会復帰を支援するため、各地の保護観察所に配属された社会復帰調整官の仕事にも支障が出ている。全国53カ所の保護観察所(支部も含む)に配属された社会復帰調整官は現在63人。今年10月には7人が増員されるが、大都市を除き1カ所に1人しか配属されていない。対象者の地元の調整官が遠隔地の入院先まで1人で何度も出張することは珍しくないという。
日弁連の伊賀弁護士は「調整官が地元の病院や自治体を熱心に回り、対象者の社会復帰の可能性を探ってくれたケースでは、審判で入院にならず、通院で済むケースが多い。調整官をもっと増員すべきだ」と提言する。調整官を管轄する法務省保護局も「業務量に比べ人数が足りないのは事実」と認める。現場からは「緊急事態を考えれば、最低2人ずつは配置してほしい」との声が出ている。

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