横浜駅からJR京浜東北・根岸線で大船方面へ一駅行くと
桜木町駅に到着する。
何回かこの辺りは来ていたのだが、
まさかこんなところがあったとは。
全く気がついていなかった。
桜木町は旧横浜駅である。
1872年(明治5年)に日本で最初の鉄道が
東京−横浜間に開通した当時の横浜駅なのである。
その桜木町駅を下車して北口より表に出て
「音楽通り」を目指す。
「音楽通り」の信号を右に曲がり
一方通行の細い道を入る。
直ぐに左に曲がり、商店街の中を進んでいくと
突当りに「成田山」の文字が見える。
意外とあっさりと見つかる。
上の方には記憶にある屋根が見える。
「間違いない!!」
入り口である。
入って直ぐに急勾配の階段が続く。
どんどんと階段を上る。
段々と高くなっていく。
階段の外側は崖である。
結構険しい崖である。
下から見上げた様子↓

崖の所々には石像が立っている。
都会的な桜木町からは想像できないほど異空間である。
階段に戻る。
階段を上りきるとこの場所に出る。
いきなりの登場である。
この場面が脳裏をかすめる。
右手を見てみる。
あ〜、この場所である。
彰(あきら)さんのHPにあった狛犬も当然ある。
そしてここが寅さんのいた場所。
ちょっと階段を上って上から見てみる。
映画では寅さんの後ろには階段があるように見える。
これがこちら。
階段は坂道となってずーっと続いている。
ちょっと遠くを見てみる。
感慨深い・・・
実に、実に・・・
感動である!!!!
38年前、確実にこの場所に寅さんはいたのである。
更に階段を上ってみた。
延命院である。
1859年に横浜港が開港し発展したこの地には、成田山を信仰される方が
大変多くいたとのこと。
当時、人数が300人以上いる講社(同じ信仰をもつ人たちが集まって作った団体)
があり、その方々から、もっと近い場所に別院を構えて欲しいという要望が
多く寄せられた。
その要望に応え、1870年(明治3年)に現・南区西中町に開創。
その後、1876年に現在の場所に移り、
1893年(明治26年)に延命院と称し「成田山 横浜別院」となった。
通称野毛山不動尊とも呼ばれている。
ご本尊は不動明王。
高い位置から彰(あきら)さんの秘蔵写真と比較してみる。
道路の感じから、どうやら丸印の家が「石栄●●所」ではないかと思われる。
下に降りてみた。
何か手掛かりがあればと思ったが
どうやら廃墟のようである。
手掛かりなし。非常に残念である。
しかし本来の疑問部分は遂に全貌を確認する事が出来た。
感無量である。
本当に本当に彰(あきら)さんに感謝である。
ありがとうございました。
天気は梅雨空であったが
気持ちの中ではとても晴れやかで清々しい気分に浸っていた。
今後第6作は更に幅を広げた形で鑑賞することができる。
嬉しい事である。
当日はかなりのハイテンションだったため
ひとり場違いな雰囲気の寅福であったことは・・・間違いない。
追記
では、彰(あきら)さんのリクエストにお応えしまして・・・

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