初めて柴又を訪れた時
どうしても行ってみたい場所があった。
それは「諏訪家(さくらの家)」。
その時のブログがこちら。
「柴又ロケ地-諏訪家-」
もう13年も前になる。
26作より登場した戸建ての「諏訪家」

この後寅に言ったさくらのあの何気ない言葉は
何度観ても心を鷲掴みされる。
その後も何度も登場する「諏訪家」
そして最後に登場したのが第40作。
ちなみにその後は3回「諏訪家」は変わっている。
つまり「諏訪家」は4軒あるのだ。
■第41作〜42作(2番目の戸建て)
「諏訪家(戸建)2番目」
■第43作〜45作(3番目の戸建て)
「諏訪家(戸建)3番目」
■第46作〜48作(4番目の戸建て)
「諏訪家(戸建)4番目」
話を元に戻そう。
13年前に最初の「諏訪家」戸建てに行っているわけだが
実は初めて柴又に行った時は何の準備もしていなかったため
「諏訪家」に辿り着けていなかった。
で、2回目は多少の準備をしてから行ったので
なんとかこの写真の場所までは辿り着くことができたのである。
考えてみると、これが私のロケ地探しのスタートなのだ。
−2008年撮影−
ただこれはあくまでも↓のシーンでのイメージであって

何となく辺りをウロウロしただけで厳密に言えば「諏訪家」には辿り着けていないのである。
現在は何もかもすっかり変わってしまい
一体どこに「諏訪家」があったのか、
現場ではピンポイントで特定することが本当に難しい。

何となくこの辺り…
で、考えてみた。
これはきっと全国の寅ファンも
同じように辿りつけていなのではないか?
(あくまでも個人的な見解です。汗)
これは由々しき問題!
(こちらも個人的な見解です。汗)
ということで今回の本題!
「諏訪家」の場所を特定する!
(いや、誰も求めてないっしょ。汗)
先ずは当時の航空写真から調べてみた。

これは1984年。
作品でいけば第33〜34作あたり。
当然「諏訪家」はあるはず。
アップにしてみる。

この青い屋根が「諏訪家」

念のため映画からも検証。

見えているものが同じ。
間違いなく「諏訪家」である。
次に1989年の航空写真。

あっ!「諏訪家」が無い!
1984年と比較してみる。

「諏訪家」と一緒に並んでいた家々も
全て無くなっている。
映画も1988年公開作品が最後だったので
1988〜1989年の間で取り壊されたと思われる。
「諏訪家」の位置を特定するための目印を探してみる。
すると目の前にある家が、現在もしっかりと残っている
事に気がついた。(黄色円内)
そのお宅がこちら。
現在の航空写真と比較してみる。

位置を合わせてアップで確認。

どうやら2番目と3番目の木の間に「諏訪家」はあったようだ。
更に現在と過去の航空写真の位置を合わせることができるアプリで比較。

上が現在、下が1984年。青い屋根が見える。
検証通りの結果である!
ここが航空写真で見えていた場所。
分かりやすくするために番号をふってみた。

手前にある右側の白い突起から奥にいった辺りが
「諏訪家」のあった場所。目印に丁度良いかも。
こんな感じで建っていたのではないだろうか。
更に言えば案内板を建ててもらえれば
もっとわかりやすくなるのではないかと思う。

例えばこんな風に。
アップにするとこんな感じ。

柴又にある他の案内板とデザインを合わせてみた。
「諏訪家」のあった場所の特定完了である!
この案内板さえあれば
きっと多くの寅ファンが救われるはず!
(くどいようですが、あくまでも個人的な見解です。汗)

場所が特定できた事で、見える風景もなんだか変わったような気がする。
「諏訪家」が透けて見えているようだ。
ちなみにこの場所は
「寅さん記念館」より歩いて約7〜8分位の場所である。
天気が良ければ、土手を歩きながら「諏訪家」まで
行ってみるのも面白いかもしれない。
「この土手はさくらが自転車で走っていたかも?」
なんて想像しながら。
おしまい。

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