第3作
男はつらいよ フーテンの寅
1970年1月15日公開
前回
「第3作 疑問の解明@」の投稿で
最後のシーンのロケ地が解明されたわけだが
今回はそれより少し前、
テレビに映しだされる場所について考察してみた。
※今回も多くのネタバレがございます。
ご注意ください!
自己責任にて下部↓へお進みください。
映画の最後、1時間23分25秒あたりからのシーン。
<題経寺シーン>
大晦日の夜、柴又帝釈天
僧侶たちに囲まれ、住職の御前様が鐘撞堂に上ってくる。
若い僧に扇子を渡し鐘に向かって手を合わせる。
境内へ向かう大勢の初詣客
<とらや店内のシーン>
団子を詰める手
包装する手
さくら
お待ちどおさま、おそばができたわよ。
おいちゃん
おい、みんな ひと休みしようや。
駒ちゃん、おいで。
おばちゃん
さあさあ 遠慮しないでどうぞ。
まあ助かったわよ、あんたたちに来てもらって。
そんな会話からお茶の間でのシーンが始まる。
昔あった「ゆく年くる年」という番組を
茶の間で観ている、というシーン。
当然実際にあった「ゆく年くる年」ではなく
映画用に編集されたものである。
この中でテレビ画面にいくつかの場所が映し出されるので

画面だけ(赤枠内)をアップにして
考察していきたいと思う。
かなり見難いとは思うが
映画の中でのはめ込み画面である事と
元がとても小さなな画像である事をご理解頂き
想像をしながらご覧頂きたいと思う。
テレビからアナウンサーの声が
聞こえてくる。
「1969年は あと数秒で去ろうとしています。」
「1969年よ さようなら」
シーン@

左側が道路のようで車が多く往来している。
何となく
銀座のように見える。

歩道にある電灯は、ひとつの柱にライトが対になっている。
「ゆく年くる年」は銀座からの中継が多かったので推測。

同じ角度ではないが、こんな感じなのではないだろうか。
しかし物証がないためあくまでも
仮説
***11月28日追記***

上記でこのシーンを
銀座と仮設したが…
本当に
銀座だった!
この
黄色囲みの部分に注目!

形が規則正しく下に続いている。
これはきっと
階段!
それも外から丸見えという事は
ガラス張りに違いない!
昭和40年代にこういった建物はあまりないはず。
で、比較で貼った写真をよく見てみると
実は同じようなものが写っているのである!
ではこの建物は何?
銀座松坂屋である!
この黄色囲みの部分が
写っていたのである!
コントラストを変えてもう一度比較してみよう。

何となく看板があり文字が見える。(ピンク囲み)
比較写真にも同じくマークしてみる。
松坂屋の当時の写真にも同じくマーク。
看板の「ザ」「カ」「ヤ」である。

その左側に位置合わせ目印の線をつけてみる。(水色線)
それを映画の画面と比較してみる。
全く同じ!
物証の発見である!!
場所的には現在のソフトバンク前位であろうか。

ストリートビューなので角度が違っている事はご容赦願いたい。
と、いうわけで

このシーンでテレビ画面に映っている場所は
銀座で確定!
シーンA

初詣で賑わうどこかの場所
場所は不明
シーンB

お賽銭を投げ入れている。
段差があるので、普段は階段なのでは?
その上に白い布を張っている感じ。
場所は不明

多分こんな感じなのだが、
この写真はネットで見つけた写真のため場所が不明。
「ピッピッピッ ポーン」
(時報がが鳴る)
シーンC
ここは一番わかりやすい。
ご存知、
銀座の和光本館
三越屋上からなら今でも同じようなアングルで
見ることができる。
「ゴーン」
(除夜の鐘の音)
シーンD
ここは恐らく浄土宗総本山
知恩院
間違いないと思う。
映像をよく見ると、大勢の人で鐘をついているのがわかる。

大勢のお坊さんで鐘をついているのだ。
もう少し早く気が付いていれば…
理由は後ほど。
シーンE
ここで中部日本放送の
山内光男アナウンサー登場。
「ハイハイ こちらは霧島神宮でございます」
「九州の南端とはいえ、深い山々に囲まれて
冬の訪れも早く、先程から白いものがチラチラと
舞っています。」
このセリフが長年の謎だったわけである。
山内アナウンサーの笑顔と名調子のおかげで
誰もが疑いを持たなかったのだ。
シーンF
この場所は恐らくここ↓!
このシーンの発見は困難を極めた。

直ぐに見つかるだろうと思っていたが
中々見つからなかったのだ。
最後の最後まで探したが見つけられず
諦めてブログに今回の投稿を完了させたのだが
PCで自分の写真を整理していた時に
偶然この写真を発見!
衝撃の発見だった!!
ここは
Hと同じ場所なのだが
撮影したこと自体をあまり覚えていなかった。
多分記録用としてスナップ写真的に撮影したと思う。
普通は人がいなくなって撮影するのだが
スナップなので普通に人が写ってしまっている。
物証となるところは大きく3点
・屋根の在り方と後ろに見える山の高さ
・左側に木がある。
・手前の階段
ここで間違いないと思う。
しかし…あれだけ日本全国をネットで探し回ったのに
結局探していた場所は自分が唯一行った場所だったとは…
シーンG
ここも不明。
どこかの羽子板市。
浅草の可能性あり
シーンH
今回のメインはこの場所!
ここがどこであるのかが解明できたのだ!
この場所が解明できたことで
E以外は廣幡(ひろはた)神社とは関係のない映像であると
ハッキリとした結論が出せたのである!
ではここは
どこなのか…
ここは…
京都 八坂神社
このシーンが八坂神社ではないかという仮説に辿り着くまで
には紆余曲折あった。
最初の難関はその不鮮明な映像。
当初はSD画質しか持ち合わせがなかったため
細かいところが全くわからなかった。
それがこちら

正直、手すりくらいしかわからない。
この画像を見て最初に思ったのが
福岡県の太宰府天満宮。
何となく似ていると思ったが全く違う。
そんな折、今度は名古屋の寅友である
r−sさんよりHD画質の写真を頂いた。
それがこちら。

比べて見ると全く違う!

これで一気に捜索が進んだのだ。
r−sさん、ありがとうございました!
画面でわかるのは…
・上から下がっているのは提灯
・向こう側も人が歩いている
・手前は日本髪を結った女性
周りを周回できる古い建物と言えば
「舞殿」
そして縦長の提灯が下がっている。
ここから検索で出てきたのが
「八坂神社」だったのである。
ところが提灯を下げている舞殿は他にもある。
また、舞殿ではなく拝殿もあったりする。
こうなるとお尋ねする方はただ一人!
神社仏閣に精通されている京都の寅友
カケちゃんである!
思い当たる京都の拝殿、舞殿を教えて頂いた。
次から次へと教えて頂いたが
最終的に候補を「八坂神社」に絞ることができたのだ!
カケちゃん、ありがとうございました!
やはり持つべき友は寅友である!
r−sさん、カケちゃん、本当にありがとうございました!
先ずは状況確認。
ストリートビューで近いアングルを探してみた。

やや角度が違うがかなり近い!
今度は物証探し
・提灯の模様が似ている
・手すりの留め具が似ている
・周りを囲う木の板が似ている
状況や物証など証拠は揃った!
あとは現地調査のみ。
という事で…
京都に行ってみた!
どうも撮影はこちらの西側からではなく
反対側のこちら東側のようである。

少し寄った写真
では映画と比較してみよう。
・柱の位置や太さも同じ。
・提灯のマークも同じ(赤色囲い)
(提灯下部に薄っすら模様がみえる。デザインも同じ)
・拝殿の手すりにある留金が同じ(水色囲い)
・舞殿を囲う板が同じ(黄色囲い)
以上によりこのシーンは
八坂神社で確定!
ところで…
話は
シーンDに戻るが
先ほど
↓ここが
知恩院であると紹介したが
実はここ、
八坂神社の直ぐそばなのである!

徒歩10分…
この事実に気が付いたのは
帰宅後にレポートをまとめている最中であった。
…残念!

この先に知恩院の大鐘楼(だいしょうろう)があったのに…

そして映画は廣幡(ひろはた)神社での
寅へのインタビューシーンとなっていくのである。
余談ではあるが
このシーンで食べている年越しそばは湯気が出ている。
冷たいそばではなく、
温かいそばを食べている。
そしてもうひとつ
余談ではあるが

このテレビは
東芝製のテレビである。
テレビ右上
赤枠で囲った場所にメーカーロゴがある。

アップにしてみる。
塗りつぶしているようだが、エンボスなので少しわかる。
当時の東芝のロゴ。
ふたつの画像を近づけてみると同じロゴであることがわかる。
一番近いテレビがこちら。

多分こちらは後継機であろう、若干違う。
最後まとめ
調査のきっかけとなったこのシーン。
現在はこちら
少し映画と角度は違うが
ここ辺り(黄色囲み)に2人はいたのだ。

画像を合わせてみるとこんな感じであろうか。
***
詳細については吉川孝昭さんのサイトをご覧ください。
超大作でかなりの内容となっています。
クリックでジャンプ
↓
2020年11月13日 号外!!
第3作 「フーテンの寅」 新発見ロケ地!!
あのラストは鹿児島の霧島神社ではなかった!!
湯の山温泉、四日市、名古屋ロケ全踏破レポート
***
まとめ
今回ラストシーンでのテレビに映る場所がどこなのか
絶対に誰も調べないような事を
徹底的に考察し、探してみたわけだが、
最後に、そもそもなぜ「ゆく年くる年」だったのだろうと
ふと疑問に思った。
なので少し調べてみた。
民法放送の「ゆく年くる年」を調べていくと
この番組のスタートは1956年で
「日本テレビ、ラジオ東京テレビ、
中部日本放送、大阪テレビの民放テレビ4局
全局同時ネットで番組放送開始。」
とあった。
ん?
中部日本放送?
そうのなのである!
今作に登場した山内光男アナウンサーの会社である!
そしてもっとすごいことが!
実は
1969年→
1970年の時の視聴率は例年と同じような
16.9%なのだが
(この第3作の公開は1970年)
その翌年の
1970年→
1971年の時の視聴率は
何と
36.4%!
これは仮説だが
この映画で「ゆく年くる年」の中継のようなシーンを入れたのは
宣伝のひとつとしての要素もあったのではないのだろうか。
だから中部日本放送さんがこの作品に対して
色々と協力したのではないのだろうか。
この映画にインサートされたことが視聴率のアップにつながった
というわけではなく、「ゆく年くる年」に関わっている企業すべてが
多方面にわたって宣伝をした、つまり総力を上げたからという事
なのではないだろうか。
つまりこのラストは最初から絶対に必要としたラストだったのでは
ないのだろうか!
そう考えると今回の発見は、思っている以上に
大きな発見だったのかもしれない!
年越しと言えばそばを食べながら
家族で「ゆく年くる年」を見る!
そんな習慣を日本人に印象付けたシーンなのかもしれない!
今回の廣幡神社の発見から
八坂神社のシーン解明につながり、
それ自体は直接ロケ地とは関係ないのだが
最後のこの一連のシーンの解明となり
このシーンの持つ本当の意味が分かったような気がする。
この映画は本当に調べれば調べる程
色々と知らないことを教えてくれる。
そしてこのタイミングで八坂神社に行けたことも
この映画に何かしらの縁を感じずにはいられない。
ふと見上げれば、空には秋の雲が広がっていた。

また一つ、その奥深さを感じたのであった。
おしまい。

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