25作「寅次郎ハイビスカスの花」
ロケ地巡り 最終章

オープニング前半でのロケ地。
夢から覚めた寅次郎はある場所から出てくる。
そこは
群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原398
鎌原神社
鎌原の郷倉
村指定重要文化財(嬬恋村)
OPタイトルの浅間山や

寅が立っているこの場所など

大まかな場所はわかっていても
(群馬県長野原付近という紹介はあった)
正式にロケ地としてすべて紹介されるのは
ほぼ初めてではないかと思う。
では映画のシーン順に高羽アングルでご紹介。
夢から覚めた寅が蔵の中から外を覗くシーン
蔵から出てくる寅
蔵の前を走り抜ける子供たち
何だ夢か、脅かしやがって…と立ち去る寅
鎌原神社

看板に書いてある内容
---------ここから---------
嬬恋村指定重要文化財(建造物)
鎌 原 の 郷 蔵
(かん ばら の ごう くら)
(指定)平成19年10月26日
(所在地)群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原字宅地東三九八番地
永年貯蔵に堪えられる稗(ひえ)等が強制的に積み込まれた
備荒貯穀が目的であり、完全な形で保存されている
村内唯一の郷蔵である。
江戸幕府は天和三年(1683)と享保十年(1725)に
貯穀令を出しており、また天明の飢饉の後には代官所を
通じて村々に備荒貯穀を命じている。
天明八年(1788)に建てられたと記録の残る鎌原の
郷蔵は、浅間山噴火による集落の被災とともに村人が
備荒貯穀した事例である。規模は間口二間余(3.9m)
奥行き一間半(3m)と郷蔵のなかでは比較的小さく、
集落の再建に際し最低限の穀物を備蓄する規模であった
と推測される。外観は防火性、断熱性をもつとされる土蔵
となっているが、構造体には手斧(チョウナ)で製材された
マツ材が用いられ、それらが壁隅部で互いに切り欠かれ
井の字型に組まれ積み上げられる井籠蔵(せいろうくら)
である。
鎌原の郷蔵は中部地方の山岳地帯における土塗り板倉の
特徴を示すものであり、現在では稀な茅葺きの置き屋根を
残す等、この地域の近世の蔵の特徴を知るうえで
貴重な建造物といえる。
平成20年12月設置
嬬恋村教育委員会
(漢数字を一部横書き用に算用数字に変換してます)
---------ここまで---------
<補足>
●手斧(チョウナ)

※参考写真
●井籠蔵(せいろうくら)
井の字型に組まれ積み上げられる

※参考写真
(木の組み方はこんな感じのようです)
では映画に戻って…
オープニングタイトル

バックに雄大に映る浅間山

この場所は
群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢
ここは出発直前ギリギリで
覚書ノート管理者の吉川さんから頂いた情報を元に発見。
軽井沢倶楽部 ホテル軽井沢1130さんの公式ブログに
掲載されていた写真から近隣をストリートビューで探索。

ピンポイントで場所がわかり今回無事ロケ地撮影に成功。
(Google「ストリート・ビュー」より)

このポイントは思わず声が出てしまうほど本当に感動した。
ひとり歩く寅

木々が成長してるのでちょっと引き気味に撮影。
扇紋の蔵

蔵には(未確認なのでおそらく)家紋の
「丸に五本骨扇」
白黒逆転しているが今もある。
<扇紋>
古くから扇には神が宿ると信じられており、
守護的な意味合いがあった。
また形状が末広がりなので縁起がよいとされ
家紋に用いられたとの事
※ご近所には「丸に日の丸扇」の家紋もある
その蔵の前の家にお住まいだったおばあちゃん。

(蔵の持ち主の山崎さんへのインタビューで判明)
かなり様変わりしているが、電線の在り方が同じなのと
右奥にある2本の電柱が当時と同じである。
位置的にはこんな感じ。
残念ながら今回発見できなかったのはこのシーン
手掛かりは画面右上にあるバス停のような小屋と
左にある2本の細い電柱。
あとはそのバス停前に何やら看板らしきものが…
この場所をもしご存知の方がいらっしゃれば
情報提供をお願い致します。
今回は朝9時過ぎには高速に乗り

(もうその頃には太陽も高くかなり日差しが暑かった)
帰宅が夜11時過ぎとかなり遅くなったが
大きく分けて3か所と
多くのロケ地を巡ることができた。
思い入れ大きな25作なだけに
個所毎にかなり入念に高羽アングルで撮影を行い
多くの成果をあげられた。
また、当時の山田組や演者の方々の位置に立つことで
その時の息吹を少なからず感じることもできた。
多くの感動的な瞬間を味わう事が出来たのも
ちびとらさん、彰(あきら)さん とご一緒できたからこそ。
深く深く感謝いたします。ありがとうございました。
「歴史的大発見!」
「第25作ロケ地へ−白糸の滝篇−」
「第25作ロケ地へ−上荷付場停留所篇−」

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