40歳半ば海外遠征に傾いていたころ
丁度今頃職場の休暇が取れる
年末から正月にかけて6日分の食料とテントを担いで
単独デポなしサポートは先輩から無線の傍受して頂き八甲田に入ったことがあります
かなり記憶が薄くなってます、記録もどっか行ってしまいました
機動力のため山スキー利用しました
装備のテントはペラペラの屋根型ツェルト
ストーブは重いマナスルという灯油ストーブ予備にガスを持ちました
食料は当時自衛隊で支給している戦闘用携行糧食でかなり重い物でした
目的は遠征のための体力強化と精神力強化目的でした
1回目は北の前岳から入り赤倉 大岳 小岳そして高田から南の猿倉 乗鞍 赤倉に抜けました
2回目は南の赤倉から入って櫛 笠松から北の石倉 大岳 小岳 高田に抜けたことがあります
最初は全山完全縦走(ピークを全部つなげる)が目的でしたが
(完全とは自分では主要な山で北は前だけ〜高田まで南は赤倉から櫛まで)
完全は達成できませんでしたが当初の目的は達成できました
今考えると無謀に近い計画だったなーと思います
地図とコンパスのにらめっこでした
記憶は薄いですが高田を下って道路から猿倉温泉まで進むに
かなりの時間を要した記憶があります
又猿倉岳に登っていた時山が唸っていました
山が唸る経験したのはその時が初めてでした
この時も雪が深く何メートルも高度を稼げないのを覚えてます
八戸の新井田あたりに行くと45号線から雪をかぶった八甲田の山並みが見えることがあります
そのたびに当時のことを懐かしく思いだします
北には山小屋が二つあります 両方の小屋を使わせて頂きました
今だから告白します
仙人岱ヒュッテの灯油を使わせて頂きました 衣類と寝袋を乾かすために
15.6年前の話です
その後単独デポなしサポートなしの完全縦走をやったと言う話を
聞いたことがありません(こんなことに興味のある人がないだけかもしれませんが)
このころはすべてを遠征のためのトレーニングに結び付けてました
甲斐駒の左俣(アイスクライミング)を登って次の日富士山に登ったこともあります
こんな笑い話もあります
階上岳にボッカトレのため75KGの砂を担いだのはいいけど
1,2歩しか進めず敗退砂を60kgまで落として開始した笑い話も