2011/6/13

web DICEで日記を始めました  

web DICEで日記を始めました
こちらです
http://www.webdice.jp/

ただでさえTwitterでいっぱいいっぱいなのにこれ以上なんのために日記を書くのか書けるのか・・全然みえてないのだけど、とりあえず無責任な発言のためにこちらの日記も残しつつ、互いに被りながらやってみようかなと。
あっちの方がなんかしらのライブリポートとかが多くて、こっちはDVDの感想とかかもですね
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2011/4/26

見逃していた幾つかのDVDに関する二、三の事柄  DVD・テレビ

最近、立て続けに映画を観た。途絶えていたDVDでの鑑賞も復活した。
こうした些細だが、個人には大きな心境の変化について分析医にでも尋ねてみたい。仕事を辞めたことや震災云々は関係してると言われそうだが。
アメリカ映画や小説のように、歯医者に行くみたいに分析医にかかりたい。

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『スペル』サム・ライミ

評価が定まった後にその映画について、当時の批評を参照せずに書くことには、多少の勇気を要す。
しかし『スペル』はそう無茶な映画ではなく、サム・ライミ好きなら納得いく映画的参照とB級感が容赦なく愉しめる。
サム・ライミへの戸惑いは、先日スパイダーマン3の記事で触れたように、作家性がB級的意匠を纏いつつ既に完成されているところだが、『スペル』ではそれをより過剰に推し進めることで、現在のジェットコースター・ホラー一般への意義申し立てに成功しているように見えた。
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『キャビンフィーバー』イーライ・ロス

で、現代のホラーのある極みとも言われる(?)イーライ・ロスを恐る恐る観たが、これが実に現代の映画であり、黒沢清、クレール・ドゥニと見事なまでに問題系を共有する傑作だった。
理屈が先行し、理解が遅れたまま、現場ではその問題系が古びたであろう「アメリカン/ヨーロピアン映画問題」が内面に浮上する。黒沢清が孤独に日本で唯一アメリカ映画を目指し、結果的に日本でしか撮りえない映画をものしたことへの、アメリカ・インディペンデント映画からの恐るべき回答が『キャビンフィーバー』である。「映画はこの程度で良い」。
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『ヒート』マイケル・マン

アメリカ映画問題への鮮やかな回答を観てしまったらマイケル・マンを見直したくなるのは当然かもしれないが、マイケル・マンとトニー・スコットほど、その通俗性に潜む作家性を言葉にするのが難しい作家はおらず、その意味でも蓮實重彦氏への尊敬はあるのだが、映像/物語のトニーに対し、夜/顔の作家としてのマイケル・マンの諸要素が、『コラテラル』より雑然とした物語の中で、幾分冗長ながら愉しめる映画だった。
いやしかし、もしかしたらこの冗長さに「アメリカ映画」のなにかが潜んでる可能性は否めないし、二大スター共演の重圧を軽やかに文体に収める才能には圧倒された。
携帯では文字数が限られる(笑)。この辺でおわります
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2011/4/20

冊子 全感覚派 Vol.0  携帯より

刷り上がりました。

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2011/4/20

雨、酒。印刷物が届く。  日々

村上春樹の章タイトルみたいに…なってないか。

ごりょんさん呑みすぎた。ていうかここのところ酒の力を借りすぎてる、自堕落な暮らしが許される階層でもないのに。勘違いしたまま中年を迎えた。
先が見えないとはまさにこのことを言うが、今週は許されたい。もはやのっぴきならないが。

海猫沢めろん先生の書き下ろしがあったので、本屋で文芸誌を立ち読み。相変わらず面白い。文芸誌で読むと大概の小説がつまらなく思えるのだが(あれは何故だらう)。

BTはホンマタカシの展覧会特集だった。ホンマさんの写真ほど写真界と広告界の評価が割れる人も珍しいような気がする。自分はと言えば「嫌いではない」というごまかししか言えないのだが、椹木さんの「美術なのか写真なのか」という言葉は確かに腑に落ちる。
(ああ写真で思い出したが、谷口先生はなぜあんなに元気なのか!)


夜中に目が覚めた時も寒かった。水を買ってニュースを見て、水を呑んで二度寝したのだ。

宅配便が届けたのは「全感覚派」の冊子。まだ自分がなにかをやってることを確かめられる。この冊子はレイアウトしてて楽しかった。とりあえずはコミティアで売るが、届くべき場所に届くといい。

自分もしかるべき場所が見つかるとよいのだけど。
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タグ: 日常 日々 生活

2011/4/19

ザ・ファイター  映画

『ザ・ファイター』ですが、最高でした。映画が観たかったらつべこべ言わず劇場に駆けつけるべきでしょう。激空きでしたから!

http://thefighter.gaga.ne.jp/

*勢いで書くと後悔してしまいますね。以下、修正しました

 で、それ以上書ける素養がないので、後はいろんな人のレビューとか参考にしてください。ロックの蘊蓄が自分にないってことです。まあジャズもなにもないけど。
 みなさん言ってるように本映画はボクシングの映画である以前にロック映画です。ストーンズのアレがどこでかかるとか、それだけで結構楽しめます。ジャズがいい映画ってのもそうですが、この曲誰の何?っていうのは別にわからんでも、選曲のセンスとかタイミングっていうのはいい映画にははまるもんだから、そこはそれでいいんじゃないかなと、いい加減な自分なんかは思ってしまいます。もちろん、そこには何がしかの考えはあるつもりですけど。

 とはいえ、ロック映画である前にドラッグを巡る映画であり、と同時に家族のお話でもあり、つまるところ●●映画って何!?っていう批判に晒される前に言い分けしとくと、最近なかなか観る機会のない普通の「映画」でした。
 様々な細部が全体に関係してるとこがおもしろい映画のポイントかもしれないですね。ザラザラしたフィルムの質感とか、あの腹はほんとに太ったのかな?とか。考えちゃったりするとこ含め「映画」でした。おそらく、一番観た70年代頃の。

 「映画」ってなんでしょうね?自分の中では否応なく70年代のいかさまな感じを参照してしまうわけで、今映画を観出した人に同じ感興を求めることは難しいでしょうし、僕にしたってオールドロックファンのような感慨はもてないわけですけど、まあでも、ソウルみたいなもの(音楽ジャンルでなくて「魂」のそれ)が見たかったらこういうものに触れるべきでしょう。ざらついたヒリヒリする路面のタイトルバックだけでもうかなりオッケーなわけです。おそらくは今新宿ピカデリーでかかってる中で『somewhere』含めてもダントツのこの映画はガラガラでした。笑うしかないけどもうしょうがない。けどこれが現実です。

 そろそろわけわかんない感じのまま、やめときます。が、とにかくもう素晴らしいです。
 逆光で兄と彼女ととりあえずの和解をなんという盛り上がりもなく示されるとこなんかほんとに最高です。ガス・ヴァン・サントだったらいやがおうでも盛り上げてしまうし、そういう才能なんでしょうけどね。このだらだらと続く感じ、そしてその中でなんらかの勝負が成されてしまうこととか。勝ちとか価値とか、負けとかなんたらとか。もうしかも一応の(略)。

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