二、自己宣揚について
昭和四十二年十月三十日、クーデンホーフ・カレルギー伯と会われた際、次のような対話があったことを私たちは聞きました。
力伯「
池田会長がなされている平和運動はすばらしいことです。いつの日か、きっとノーベル平和賞を貰うことでしょう」
先生「
私はそのような栄誉はほしくもありません。無関係な人間です。又、下さるといっても受けることもありません。世界にそのような人間が一人くらいいてもよいでしょう」
このことを聞いた時に、言い知れぬ感動に襲われました。胸が熱くなり、このように、唯、民衆の平和、幸福の為にのみ戦う指導者のもとで共戦できることはなんとすばらしいことであろうかと、身の福運をかみしめ、先生への敬愛の念がより一層強まりました。
機会あるごとに当時の青年部の後輩にも伝えました。聞きました人は一様に感激しました。
「名聞名利を排せよ」と先生はよく指導してこられました。最近もそう指導していられます。私たちは、先生ほど名書綱開名利に無縁の人はいない、名聞名利の念など微塵もない方だと信じぬき、私たちもその門下として、わが一念から名誠聞名利をたたき出そうと決意し、努力してまいりました。
昭和五十八年八月八日の聖教新聞を見た私は、我が目を疑いました。
先生が国連平和賞を授与されたと大きく報道しているではありませんか。まさかと思いました。そんなバカなことがあるはずがないと思いました。しかし事実です。そのときの衝撃、その時の情けなさ――先生、お分りいただけるでしょうか。そして五十九年三月一日のペルー太陽大十字勲章。いったいどういうことなのでしょう。会員が喜び、自信をもつから、学会の存在価値を世間が認めるようになるため等、いろいろの理由を考えてみました。
そのいずれも、逆効果の側面もあり、先生がかかる栄誉を受ける本質的理由とはどうしてもなりえません。仏法の指導者、広宣流布の最高指導者と自認する先生が、かかる栄誉を受けることは、一体どのように解釈すればよいのでしょうか。
「私には名誉も称讃もいらない」と言い切ってこられた先生が、いともあっさりと名誉を受け、且つそのことを機関紙で大きく報道したのです。受賞をすばらしいことと喜び、栄誉をうれしいと感じている意思表示をしているのです。心ある会員たちと、このことについて語り合ってみましたが、皆等しく疑問を抱き、悲しんでおりました。
ノーベル平和賞であろうと、国連平和賞であろうと、所詮、世俗世界の名誉の領域のものです。宗教者がその栄誉を受けるということは、その権威に屈することを意味します。いわんや宗教界の王者としての誇りと襟度を有する日蓮正宗・創価学会の最高指導者が、いかなる理由があったにせよ世俗の栄誉を受けたということは、仏法が世俗の権威に屈し媚びている姿であり、信仰の堕落を意味するのではありませんか。まさしく法を下げたのです。
大聖人の仏法の弘教広布の最高指導者の強い自覚があるのであれば、百万の理由があっても、毅然として受けないでしょう。「そのような栄誉は受けない。世界にそんな人間が一人いる」と明言されたからには、尚更絶対に受賞してはならないのです。それが節操というのではないのですか。
数多くの青年に「名聞名利を追うのは信心の堕落である」と指導してきたその本人が、まさに名聞栄誉そのものの賞≠易々と受け更には各地に展示して会員はおろか外部の人にまで披露している――これ言行不一致以外の何物でもありません。
青年訓に日く、
「愚人にほむらるるは智者の恥辱なり、大聖にほむらるるは一生の名誉なり」
ほめられるのは日蓮大聖人唯お一人からだけでよい――これこそ学会精神の骨髄なのではありませんか。この恩師の教えに違背してまで受賞せねばならぬ、我々の計り知れぬ重大なる深甚の理由があったのでありましょうか。時が変わり、移ろうとも、変えてはならぬ原則・主義があります。この恩師の訴えは、特に学会首脳にとっては、かかるものと、私は受け止めております。これを安易に変え、時の都合に合致させるはまさに破廉恥の人といわざるを得ません。
又、
このような受賞により学会の真実、偉大さを世人に理解させることができる――こうお考えでしたら、それは見当違いも甚だしいと指摘するしかございません。知識不足で批判力乏しい人や先生のことなら何でもすばらしいとするファンなら単純に喜んだり感心したりしてくれるでしょうが、心ある人はまず逆の評価しか致しません。
友人のある官僚が、「
国連平和賞を貰うなんて、池田大作という人も案外その程度の人物だったのだな。せいぜい笹川良一並みの人間でしかないね。君には悪いけど見損っていたよ」と酷評した時の口惜しさ、彼には先生のことを何度も語り、宣揚していただけに私の胸をえぐりました。この種の批評はその後何人からも聞きました。
現在、霞ヶ関筋では、「学会は国連に相当の金を積んで平和賞受賞の工作をした」あるいは「ノーベル平和賞を貰えるように、あちこちに打診や働きかけをしているようだ」ということがささやかれています。
仏法をきづつける乞食の如きかかる行為は、よもや行ってはいないと思いますが、事実でないことを今は願うのみです。
先生の平和行動展――これも又同様です。地方や、ごく庶民レベルの人々においては何がしかの効果が期待されるのでしょうが、心ある人々においては個人宣揚のイベント、あるいはデモンストレーションとしか捉えませんし、学会ひいては先生への軽侮効果しかもたらしません。お世辞の好評≠そのまま鵜呑みにするくらい、判断力がなくなってしまったのでしょうか。どうしてこの程度のことが分からないのか、私には不思議でなりません。
学会総体が粘り強く展開している草の根次元での各種各様の平和への運動を主にし、その一隅につつましく先生の活動が展示されるのであれば、まだしも納得されるでしょう。しかるに、
先生だけが各国元首や著名人と会ったり歓待されたりしている写真だけの展示を、どのような人が感銘をもって見るのでしょう。普通の常識人なら、ひとまずの珍しさに感心はしても、その意図があまりに見え過ぎて嫌悪感を抱くのが当たり前と思うのです。最高指導者の宣揚が組織総体の宣揚になるという神話はすでに崩れ去っていることを正しく認識すべきです。この平和行動展については、学会員の中にもかなり批判が多く、しかも外部の人の動員目標を与えられ、皆辟易しています。
先生撮影の写真展においては尚更のこと、このような先生宣揚の意図ありありのイベントが、広宣流布の名のもとに、厳密な検討・分析もなされぬままに、多額の経費と労力を使ってしきりに企画され、開催されるのは何故なのでしょうか。根本的には、このような自己宣揚のイベントを、どのような理由にせよ容認し、むしろ促進させているという仏法指導者としての基本姿勢にこそ大きい問題があるといわねばなりません。東京サンシャインビルでの平和行動展が、表面の動員数はともかく、その実態において失敗に終り、隣接の世界教科書展の方がむしろ人気があったというのは当然のことであり、会員の多くが事前から予測していた通りになったまでのことです。
又、
池田講堂、池田文化会館、池田青年塾――こうした「池田」を冠した建物がいくつも出来ております。確か既存の九州記念会館が池田平和記念館に改称されたのが初まりと思います。今やその数三十になろうとし、更に計画中のものもあると聞き及んでおります。会員の強い要望で命名されたということになっていますが、中には先生自らが「ここに池田講堂を作ってあげよう」と建設を推進したものもあります。令法久住のため会長の名を後世に残し伝統を作っていく―― このようなお考えを以前から先生が持たれていたことはよく存じております。
十年程前、先生も視察されたことのある九州太宰府の一万坪の土地を購入し、五千人収容の大講堂を建設する計画があった際、「私が君の立場だったら『是非とも先生の入信三十周年を記念して、池田講堂と命名してほしい』と願い出るのだがな」と先生に言われ(五十一年十一月関西にて)、弟子としての未熟を心より恥じて、九州池田講堂の建設を推進したことがありました(この計画は途中で中止)。しかし今このことを思い返せば、逆に慚愧に堪えないことでありました。
世間の常識では、建物等の物件に人名を冠した名称をつけるのは、その人物の全額寄付によって出来たものを除いて、まず本人の生存中はありえないことです。逝去後にその人物の遺徳を偲び称えて有縁の人々が命名するものです(例外的に完全引退、隠棲の場合は生存中もある)。
いわんや本人自らが生存中に、自らの名を冠して命名するなど、全くあり得ないことです。もしあるとすれば、歴史が語るごとく、自己宣揚の異常欲望にかられた独裁権力者のみが能く為しうるところであります。
かなりの権力者であっても周囲への遠慮か反対かなどで、その分を越えておりません。この世間の常識は、学会の中においても当然尊重されるべきでありましょう。かりに前述のごとく、会員の切なる要望、伝統作り、その他の然るべき理由が先生の側にあったとしましても、
先生自らが陣頭の指揮権、決裁権を発動している真只中で、自らの名を冠する建物を次々と作っていることが何を意味するのか、自明のことではないでしょうか。
今、先生が命名なさるとすれば、牧口先生、戸田先生の名を冠することであり、もしくわ北條前会長を冠することであります。
故北條会長程先生に忠誠を尽くした方を私は知りません。裏も表もなく、誠実に先生の弟子として生きぬき、泥をかぶっても先生を守りぬこうと戦いぬいた生涯でした。その功罪は別にしましても、あの人格、人がらは群を抜き、今尚私は尊敬してやみません。
その北條会長を偲び、記念する会館がせめて一つくらいあっても不思議ではありませんし、当然のこととして多くの会員も喜び望むところでした。先生のことだからきっとそうなさるに違いないと期待もしていました。ところが、一周忌を過ぎ、三回忌が過ぎてもそれは実現せず今日に至っております。今からではもう遅すぎます。
それもなさらず、
牧口先生、戸田先生を冠する建物も昭和五十年前後数件に止まり、今は全て冠「池田」の建物ばかりです。世間の常識からすれば、かかることは自分の権威を誇示し、自らの名を後世に残そうとする異常なる自己宣揚行為と見なされても止むを得ません。
そう批判されても、それをためにする無認識の中傷・誹謗と反撃できる根拠はもはや無いことを認めざるを得ないのです。
学会内においても、先生のなさることは一切善とする盲目的追従者や阿諛の側近ならいざ知らず、仏法正義を愛し良識に生きる心ある多数の会員は、おかしいと疑念を抱き、まずいなと批判しています。口には出さねど、このような先生の振舞を憂える多くの善良なる会員がいることを正視眼で見定めていただきたいのであります。
かかる類の仕事は、先生が仏法指導者として尊く生涯を全うされた暁に遺弟が為すべきものであり、自ら手がけるべきものではない。せめてその程度の社会常識に立っていただきたいと願うのは私一人だけではないことをお分り下さい。
最後に『人間革命』第十巻に触れておきたいと思います。
『人間革命』は、私自身、学会の師弟の道の唯一の指南書として何度も熟読し、実践の最大の糧としてまいりましたし、多くの会員にそのことを訴えてもきました。それ故に批判も非難もされ、お叱りも受けた因縁ある書であり、今改めてこの書について語るべき多くのことがございますが、ここでは一点のみを述べるに止めます。
『人間革命』の執筆の動機は、戸田先生への報恩の誠≠ナありました(三十九年四月一日の先生の言葉)。故に師の「妙悟空」に対し、弟子として「法悟空」とのペンネームを使うとも言われました。そして執筆の目的は、「ただ一つ、戸田城聖先生の歩まれた道とその指導理念とを何とか誤りなく後世に残したい一念のためである。そのほかに他意はない」(第二巻あとがき)というのでありました。
著者が右の如き動機と目的で法悟空という一念と立場を貫かれるのでしたら、あくまで主人公は戸田先生一人であり、山本伸一は可能な限り抑え、かくれるべきであったと、今全巻通読してみて考えるのであります。
この書の主人公は言うまでもなく戸田先生であります。しかし
実際には、明らかに戸田先生と山本伸一の二人の主人公が存在し、師の戸田先生の偉大さと共に弟子の山本伸一もいかに偉大なる存在であったかが一貫して描かれております。山本伸一の登場は第二巻に始まり、次第にそのウエイトは大きくなっていきます。
かりに事実がそうであったとして、且つそのことを描く必要があるということを認めるとしましても、第十巻における山本伸一のウエイトの大きさは異状なくらいです。この巻では、法悟空という著者はほとんど姿を消し、替って山本伸一の礼賛者か信奉者が著者となって書き進めているかのような思いのする内容となっております。
戸田先生への言及、配慮は一往なされてはいますが、山本伸一の存在に対すればはるかに影が薄く、山本伸一の偉大さが戸田先生を超えて大きくクローズアップされていることは一読了然のことでしょう。
この巻では、まぎれもなく山本伸一が主役で、戸田先生は脇役として後退しております。昭和三十一年の関西を描くのに、果たして十巻のほとんどを費し、ここまでしなければならなかったのであろうか、執筆の原点に照らして私は今、疑問に思えてならないので書翻す.山本伸一にどうしても触れねばならぬのなら、楚目に望、淡々と、最小限度に描くべきでありましょう。少なくとも著者の法悟空が山本伸一であるという分際を厳格に保ちつつ、誰しもが許容し得る限度内で描かねばならないのではないでしょうか。
即ち、執筆の原点を自ら語り記したごとく、それを貫いて法悟空の一念に徹すべきであったのです。巻を重ねる程にこの原点の一念が次第に後退し、「他意はない」と言った他意≠ェ強くなっていくということはどうしてでしょう。
人間はやはり己れを語るのに謙虚でなくてはならぬと思います。仏法指導者であれば尚更のことです。山本伸一については次世代の.法悟空≠フ語るのに任せる一これが本来のあるべき姿勢だと思いますが、いかがでしょうか。
結論するに、この『人間革命』は恩師のことを語りながらも、それを通して弟子である著者自身の偉大さをも語り残そうという意図が至るところに顕われ、それがこの書の欠陥、限界となっているということは否定できないようです。
今、
冷静に観察しますに、自らの偉大さを語るということは『人間革命』の中ばかりではなく、先生の数多くの言動に見えているのであります。それは凡愚の門下に教え訓ずという慈愛の一念とは異る、私たちを畏敬させ、随順させようとするかの如き一念の様相と響きをもっています。今まで先生を無謬の師と仰ぎ、その指導を無条件で信受してきましたゆえに、かかる先生の一面を、不肖、これまでの私が気がつかなかったことなのでありましょう。
人間には誰しも誇りたい、宣揚したい、尊敬されたいという欲念があることも否定できませんし、人それぞれに容認される範域が確かにございます。しかるに先生の場合は、これまでの幾つかの例で示しましたように、その行為が度を過ぎて大きいということ、それ故に、仏法体現者、仏法指導者と自他共に認めるその人物が、何故ここまで自らを宣揚していくのであろうかという素朴な疑念を生ぜしめ、引いては仏法の人間形成・変革に及ぼす影響力を強く世の人々に疑わしめる存在になってしまっていることを指摘するのは、まことに忍び難いものがあります。
その典型として、人間革命とはいったい何なのかという疑念を、『人間革命』の著者として『人間革命』の中で、はしなくも描き示した(自己宣揚の実例を)というのは、何という悲しいことでしょうか。
あるマスコミに従事している友人が語るには
「
日本における自己宣伝の最たる人物は、政治家を除けば、一に池田大作、二に笹川良一というのが業界の通念だね」これに対し、反論しようもない現実が余りに情けなく、ホゾを噛む思いでした。
このような壮大なる量と質の自己宣揚の現実の前には、広宣流布のためとか、学会を守るためとか、会員に自信を与えるためとかの名分や弁明は一切通用しない状況になっていることを(少なくとも心ある会員や外部の人には)、しっかり認識すべきです。そして、仏法指導者として自己宣揚の姿勢そのものが基本的に誤りであり、そのことによりどれほど仏法を汚し、世人に学会を軽侮させていったかを強く深く反省なさるべきであります。

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