三、独善、慢について
一つの象徴的事例を述べます。
今年の新年勤行会は、参加者が四百万人を超えました。これに関して「大成功だった、これで邪宗参りを減らすことができたのだ」という趣旨の先生のコメントが組織に流されました。しかし本当にそうだったのでしょうか。
四百万という報告数字がどのように作られたものか、結集目標を与えられた現場ではその達成のためにどのような人数集めをし、やり繰りをし、数字合わせをしたのか一支部幹部以上の幹部は一番よく知っています。このことは、全国まず例外ないといってよいくらい、ほとんど同じことをやったと見て差支えないでしょう。
四百万人という数字はそのようなゴマカシをやらない限り、今の学会では結集不可能な数字だからです。先生のコメントを聞き、一番バカバカしく思ったのは、口にこそ出しませんが(口にした人も数多くいます)、その愚行を下らないと思いつつも、止むを得ず実行さ誠せられた当の幹部たちではなかったでしょうか。その上、そう思いつつも下に流さざるをえないのですから、まさに茶番劇です。一九五〇年代末の中国において、まじめな統計を提出したものが叱られるので、止むを得ず上が望む数字を作り上げて提出していた¢蝟進℃梠繧フ嘘統計、これが全国に亘り、これによりその後の中国の正常な発展がどれ程阻害されたか計り知れないものがあると、数年前学者たちが告発していました。
あるいはベトナム戦争当時、敵側兵力を過少報告し、ワシントンの判断を誤らせていたとされる司令官ウエストモーランド将軍(これについては五十七年一月の朝日新聞がコ将ごまかして万骨枯る」と報道)の裁判事件は、私たちの記憶に新しいところです。
そして『人間革命』第五巻、朝鮮動乱での前線と後方との情勢分析の食い違いを鋭く解明・記述した「戦争と講和」の章を想い起こさせます。
「……権威をもつ人が、その部署で権力のとりこになってしまい、全体観に立てず、相手の人の心を読み違え、遠い未来の展望の上に立っての決断をあやまる時、どれ程不幸な作用と悪循環を繰り返していくことになるか……」
「戦況報道のおどろくべき虚偽は、かつての大本営発表だけではないようである。もしも正確な報道がなされていたら、朝鮮戦争の場合もずっと早く和平の時機が来たにちがいない……
正確な報告∞正確な報道=\―これこそ新時代の平和建設のバロメーターである。いかなる団体や組織にあっても、正確な情報が流れないところは、いつか人々の信用を失い、やがてその進展も止ってしまう」(「戦争と講和」より)
恐しいくらいに今の学会の姿を表現しています。先生が立っている状況を説いております。すでに述べました財務、
平和行動展をはじめ先生の独り善がりと見なされる実態は数多くみられます。例えば、副会長の大量人事――これがどういう意義と価値効果をもつものか、これ程理解に苦しむ人事も珍しいのではないでしょうか。
何か先生のみが知る深い意義が他にあるのでしょうか。学会の内外を問わず、表面はともかく副会長への権威は地に落ちています。インフレーションのための貨幣増発により更に貨幣価値の下落をもたらす姿に等しい有様です。
又、SGI文化賞、桂冠賞、白百合賞、紅賞、栄冠賞等の大量表彰−数年前の班長、班担に至る総ざらい表彰をはじめ、ここまで無原則にエスカレートすると、表彰それ自体の意味が失われ、初めは貰って喜んでいた人たちが次第にしらけたり、周りも関心や尊敬も払わなくなるという逆効果さえ生じております。
長期にわたり権力の座にあった人がその権力の維持・延命のため末期の段階で必ず行う方策が、側近首脳の大量任命人事、もしくは大量表彰・叙勲であり、それが行われると終焉に近いといわれています。
学会がそうでないことを切に祈るのみであります。と同時に、以上の数例で自らが極めて重症の独善の弊に陥っていることにお気付きいただきたいと存じます。
会長就任以来、数々の偉業を成し遂げ、推進し、内外から称賛と尊敬を受けてこられた先生が、反面、普通の人には考えられないくらいの、一利あれど百害連なる如き愚行を、平然とというより善いと信じてやっていられる姿を見るとき、長い間組織の頂点にあった人たちの誰もが犯す過ちを、先生も又同じく犯していることが現実となり、無念でなりません。長い間私たちは、先生だけは世上多くの教訓が示すこのような誤りや過ちとは無縁の例外的存在、不世出の指導者と固く信じてまいりましたからです。
「私のことを分ろうと思うな。決して分りっこないのだから、私を観察したり、分析したりすることはやめなさい」と厳しく言われたことは、二度や三度ではございません。四十五、六年頃、「聖教編集の職員は私を横から見ている(注・客観視)。私に対する時はそのようなことをやめなさい」と、よく指摘しておられました。
当時、
側近の一人として先生に仕える身の私は、その指導のままに先生のなさることは本質的に決して誤りはないと信じ、いかに先生と呼吸を合わせ、先生の一念と合致できるかが我が想の戦いだと、ひたすらにそれを祈りつづけ、誠努力してまいりました。先輩たちに教わるままに先生こそ仏法広宣に出現した不世出の指導者であり、希有の師であ録5付り、不思議な方と仰ぎ、信じて疑うことを知りませんでした。
さりとて巷間でよく言われたように、先生を日蓮大聖人の再誕とは、唯の一度も考えたことはありません。その考えは、末法において御出世の本懐を明確に遂げられた御本仏大聖人への冒涜であり、大御本尊様を否定する大謗法なること瞭然であり、且つ、文理現の三証の上から大聖人の再誕では絶対にあり得ないからです(困ったことに、内証≠フ問題として先生が大聖人の再誕であると信じ込んでいる人々が最高首脳のなかにも、各地の首脳幹部の中にも今尚存在しているようですが、由々しきことです。私もそれが分り次第、その誤りを厳しく指摘したことが何度もありますが、憂うべき謗法の根が残っていることに留意すべきであります)。
とはいえ、「不思議な方」「希有の師」また「師への帰命」という表現が先生への崇拝を助長したことは否定できませんし、今尚深く反省し、その責任を痛感し、自らを断罪しております。
ともあれ、先生のいわれることをそのまま正しいと受け止め、実践していくのが弟子の道である。かりに先生の言動で納得できないところがあっても、それは先生の高く深い境涯と智恵からのものであり、我々凡愚の次元では分らないのであるから、その通りに受けていくのが信心のあり方だ一こう先輩から教わり、自らも実践し、又後輩にも教えてまいりました。
更に前述の如く、
先生自らも「私に意見することなど愚かなことだ。私のことなど誰も分らないのだから、意見など出来るわけはない」、あるいは「
私に意見して私を動かそうと考えることなどおこがましい増上慢だ」と、意見具申をしばしば斥けられたり、又人の面前で具申した人を叱責されたことも再三ありました。特に、
意見具申の中に先生個人への批判が入っている時は、その批判の一念を厳しく叱咤されました。
こうしたことどもが合い重って、先生の言動に対する絶対容認の雰囲気・思想・通念が会内、特に本部の中に醸成されていました。諌言はおろか、意見さえ悼かられ、余程の事情と、余程本人に勇気がない限りは至難のことでありました。今にして思うに、実はここに大きい問題点があったわけです。先生は、数多くの勝れた資質・力を具えていられます。しかし、いかに優れた人間でも、人間である限り必ず欠点があるという平凡にして基本原則が、やはり先生にも適用されるべきであったのです。
先生においても例外ではいけなかったのです。そしてそれが又、仏法の説く原理でもあったわけです。欠点があるが故に誤りもあり、過ちも犯すことも又当然のことであったのです。
昭和五十五年六月の箱根での対話の折り、先生が「私は本当のことを知りたいのだ。だが本当のことが私の耳に入らなくなってしまった」とおっしゃいましたので、
「それは先生の方にも大きな問題があるからだと、
@他の人の面前で、言った人のことをとやかく言ったり証言させたりしない
A話をじっくり最後まで聞き、総合判断をして早とちりをしない
B拙い未熟な意見や報告でもひとたびは受け、叱ったり批判したりしない、要は安心して意見や報告ができる先生になれば、本当のことが耳に入るようになります(取意)」と申しあげたのも、又「このままでは毛沢東(革命の英雄も晩年の数々の失敗、誤りが指摘され、晩節を汚した)のようになりかねません。(先生「今からなら間に合うか」)間に合います。でも今がタイムリミットです」等々、敢えて申しあげたのもこれまでの批判・意見.諌言拒否の姿勢を先生自ら反省されたすばらしい姿と心より喜び、独善の誤りを防いでいただきたいと心から願ってのことでありました。
ご存知のことと思いますが、『貞観政要』という外典の書がございます。佐渡御流罪中の大聖人様がわざわざ取り寄せられ、門下へのお便りに用いられたくらいの書であります。唐第二代皇帝の太宗は、後世「貞観の治」とほめはやされた善政を行いました名君中の名君であります。この名君と臣下の問答集であるこの書が、古来、帝王学の最高テキストとされている理由が、昭和五十三年末にこの書に接してみてよく理解され、襟を正す思いでした。大聖人様が重用された意味もいささかなりとも分る思いでした。
太宗は、父の高祖と共に唐王朝の創業に比類なき力を発揮した名将でありましたが、自らを「無謬の人でない」ことを熟知しておりました。時代が創業より守成に移る程に更に自覚を強め、283自らの側近に諌義大夫という役職さえ置き、常に諌言させたのでした。
人間は権力や権限を持つと、それがどんな小さなものであっても、その範囲において奇妙な「全能感」を持つもののようです。
その権力・権限が大きくなるにつれ、その「全能感」も無限に拡大されて、更にはその「全能感」に酔い、自分自身を特別の人間と思い込んでしまう時、本人及びその周囲、その影響下にある人々の悲劇は次第に惨たるものになっていきます。『生命を語る』で指摘する「権力の魔性」というべきものでしょう。こうした人間の弱点・無明に翻弄され、晩節を全うできなかったのがヒットラーであり、ナポレオンであり、秀吉等の特大の権力を保持した英雄たちでありましたし、かの毛沢東にしてこの姿が見られるのです。
太宗はこのことを能く知り、直言・諌言の士を側に置き、自らを戒めてまいりました。「貞観の治」むべなるかなであります。
この
『貞観政要』の中で、名君の個人的側面として強調されているのは次の二点であります。
一、わが身を正すこと。私欲を抑え、奢侈に走らず、民衆の手本となるべき私生活を送ること。
二、臣下の諌言をよく聞き入れること。
特に第二点については、君臣ともに「諌」の重要なることを説き述べて尽きるところがありません。
「いくら賢人でも側近が苦言を言わずに調子のよいことばかり耳に入れれば、三年でバカになる」これは勝海舟が時の総理について述べた有名な言葉です。
学会の頂点に立つこと二十六年――人間誰しもが持つ弱点、否、勝れた能力をもつ人程侵されていく病弊に、先生も侵されていることにお気付きになりませんか。
すなわち、「慢」です。それより来るところの「独善」です。指導者として他を絶する数多くの資質を具えていられる先生の致命的欠陥は、いずれの帝王学、将軍学にも例外なく中心項目となっている「部下、臣下の直言・諌言を容れる」という最も基本的素養に欠けている点であります。このことは惜しみても余りあります。
先生はしばしば慢心を戒める指導をされてきましたし、私たち門下を厳しく叱ってもこられました。最近特にこれに言及されることが多いように感じられます。しかし先生自らはいかがでしょうか。太宗の為せし如く、諌言を求め、奨し、直言に耳を傾け、自ら誤りなきやと戒め、過ちなきやと自らを反省されていられるのでしょうか。
恐らくそうではありますまい――はそう推察するしかないようです。
何故なら、もしも先生が常に自らを戒め、反省し、独善を排し、真実の声を聞こうと努力し、諌言を甘んじて受けていられるのなら、あの収奪的財務が何年も続くわけがありませんし、目に余る過度の自己宣揚などその萌芽もないはずですし、本部職員もあきれている無計画・無謀の増改築をはじめとする経費の浪費、乱費が許容されるわけがありません。こうした否定しようもない現証は、いったいどこから生じ、何から起こっているのでしょうか。
「流れの清濁はその源に在るなり。君は政の源、人庶は猶水の如し」(『貞観政要』威信篇)
そして、
「在俗は衿高にして多く我慢を起こす。疵(きず)を藏(かく)し徳を揚げて自ら省みること能わざるは是れ無悪の人なり」(法華文句)
「自ら省みる能わざるは我慢と釈す」(文句記)
先生が常々私たちに整られるように、我慢偏執とは恐しいものです。まさかあ、先生のまぎれもなき現実の姿誠、、に接し私自身改めて我が身の未熟さを省み、戒めております。先生も他に説き教えるのみでなく、自分こそ最もその録9付過ちを犯し易い立場にあるとの自覚に立たれ、自らに厳しく対し、自らを省み戒め、我慢偏執の過ちから、先生自らの為にも多くの会員の為にも、速やかに脱していただきたいと念願するものであります。
「私は人の意見を聞きすぎて失敗した」と言われますが、それは「聞きすぎて」でなく、「聞き方がまずくて」に訂正されるべきかと存じます。意見を聞きすぎることは一向に差支えなく、むしろその方が望ましいと思います。その聞き方、取り入れ方を誤らなければ失敗することは決してありません。「取捨宜しきを得て一向にすべからず」も指導者の力量の一つではないでしょうか。故に、先生の前の言葉は、意見を聞く必要はないという理由としては全く無意味だということになります。
「意見を言うのはおこがましい増上慢だ」これも全く誤った考えであります。意見は先生を思い学会を思い広布を願う故であり、諌言はまさしく先生に誤らせたくない、失敗してほしくないという一念から発する忠誠の上凡行ではないでしょうか。我慢とも増上慢とも全く違う一念の所作であり、行為であると思います。むしろその意見や諌言を増上慢として排する姿勢、嫌う一念そのものが我慢なのではありませんか。よくよく考え直していただきたいものです。
仏法において諌言も意見も許されております。だからこそ二十六箇条の遺誡置文の中の「時の貫首為りと難も云々」の一条があるのではないでしょうか。意見があり、諌言が許されるなら、その前提として批判が存在するのは当然であります。
故に、
批判も又、破和合僧でもなく慢でもない筈です。現状の問題点に対する批判があり、それが愛学護法・利他の一念で意見や諌言、指導等と連結していくことに何等いささかの謗法もあり得ません。むしろ正しき和合僧、より強固な異体同心を築くために、信心の一念から発する批判も意見も必要不可欠なのではないでしょうか。断固として排さるべきは非難・中傷・誹謗なのであり、これら謗法とは明確に区別し、一線を画すべきかと思いますが、いかがでしょうか。
くどいようですが重ねて申しあげます。意見や諌言を排し、斥ける我慢・偏狭さを破折し、大聖人の仰せの如く自らも又欠陥、過ちのある人間の一人であるとの自覚に立たれ、たとえ次元の低い未熟なものであっても、それを進んで受け容れる度量、雅量をもち、そこから数々の教訓を取り出して、独善の弊を免れていただきたく強く願望致します。「
雲は月をかくし讒臣は賢人をかくす。人讃すれば黄石も玉とみへ訣臣も賢人かとをぼゆ」(開目抄)
『貞観政要』によりますと、
讒臣とは、その知恵は自分の非をごまかすに十分であり、その弁舌は自分の主張を通すに十分であり、家にあっては骨肉を離間させ、朝廷にあってはもめごとを作り出す。訣臣とは、君主が言うことはすべて是認し、その行いはすべて賛し、秘かに君主の好むところを突きとめて、これを奨め、見ること聞くことすべてに快い気分にさせて君主に迎合し、後害を考慮せず。君主、我慢・独善の時、必ずこのような徒輩が君主に取り入り、側近に侍ります。あるいはそうでない側近の臣も、そのような人間に変心、転身していき、忠臣・貞臣・直臣等は追われ、又は所を辞して去っていきます。そして、君主のやりたいと思っていることを巧みに見抜き、それを先取りする形で助言し、しかもその助言がまことに理にかなっているように巧みに修飾してしまう一これ即ち佞臣です。
こういう人物が、「嗜欲喜怒の情は賢愚皆同じ」に便乗してこれを増幅させれば最悪の状況であり、「君主滅亡する」の元凶・最悪の危険人物であります。これ歴史の教える原理・法則です。
今、先生がいかなる人々に囲まれているか、自らを危うくし、学会、広布を誤らしめることのなきよう、よくよく心して見極めていかれますよう進言申しあげます。
私たちはこれまで、学会の師弟の道の求道・随順の義のなかに、これまで述べました忠誠の一側面である「諌」の重書綱要性を見失っていたようです。これは明らかに誤りでした.意見は当然のことながら、直言も諌言も弟子の道に抵触す誠、るものでなく又仏法に違背するものでもなく、むしろ信心の一念で必要ありと確信すれば、敢んで為すべきものと私は確信します。
「皆人のをもひて候は、父には子したがひ、臣は君にかなひ弟子は師に違すべからずと云々、かしこき人もいやしき者もしれる事なり。しかれども貪欲瞋恚愚癡と申す酒にえいて主に敵し親をかろしめ、師を侮るつねにみへて候。但、師と主と親とに随いてあしき事をば諌ば孝養となる事はさきの御ふみにかきつけて候いしかばつねに御らむあるべし」(兵衛志殿御返事)
更に、今一つ大事な一点を付加えたいと存じます。
竜口の法難を受け佐渡流罪の真只中にある大聖人様は、御本仏の身でおありながらも御自身を徹底的に凝視され、且つ逢難の因を今世、過去世に亘る一身の謗法なりと断罪されているお姿はまことに恐れ多く、驚くべきことであります。佐渡御書、開目抄を拝する程に、未熟なる信心の私の身にも名状し難い感動が迫ってまいります。
翻って五十四年前後の諸事象を語るのに、
先生は難(法難とも言っています)、迫害と捉らえ、再三にわたり「これを私一身に受け会員と学会を守った」とされています。
然るに仏法における難というのは、信心の上においても世間においても一分の失なく、唯、弘教・護法の故に受けるものであることは、今更説明の要もありません。
としますと、当時宗門から厳しき指摘・叱責を受けました如く、先生はじめ諸幹部、学会総体として数々の仏法違背があり、且つ運営、対策の面で過誤があり、これらから起因する諸事件が何で法難でありましょう。山友・原島事件や一部マスコミの中傷・誹謗が、その中に多少のいわれなき要素が含まれていたとしても、この程度の事が何で迫害といえましょうか。
大聖人様の逢難にいささかなりとも比肩するかのような姿は厳に慎むべきでありましょう。
仏法世法両面において数々の失がありましての、これら諸事件は、本源的に自らの過ち、誤りに起因するものと深く反省し、懺悔して罪障消滅に精進せんとの信心で受けとめるべきものではないでしょうか。これを難、あるいは追害と受けとめる時、そこには我全て正し、我尊しという一念顕然として、一片の反省も存在しないのであります。まして、いわんやその全てを一身に受けたと言うのは、これまた自己宣揚の広言になりませんか。もし本当にそうであったとしても、信仰者の自覚においてであり、多くの人にそれを誇示すべきことではないはずです。まことの指導者なら黙して語らずです。仏法者なら尚更のことでしょう。此れ有差の人≠ナす。
先生は余りに己を尊び、己を宣揚して語り過ぎます。此れ.無斬心の人≠ナす。かかる姿を独善と称し、慢というのではないでしょうか。
「我慢≠ニは我尊しとおごる慢心≠ナあり、偏執≠ニは偏った考えに執着していく心である。御書の仰せに従わず、広宣流布の正しき軌道に乗り切ることのできない我慢偏執の心こそ信心の最大の敵である」
「表面のみ信心ありげな姿の中途半端な生き方では、一時はよいように見えるかもしれない、しかし最後は成仏という生命の完結を得ることなく、苦しみの境涯になっていくことを知っていただきたい」(昭和六十一年二月二十二日「金城会」での指導)
「我もいたし人をも教化候へ」の如く、先生ご自身の指導を先生自らよくよく肝に銘じ、自ら行うべきでありましょう。
おわりに
申しあげたいことはまだまだ幾つもございますが、以上三点のみ書き記しました。乱筆拙文ではありますが、義意をお汲み取り下されば幸甚に存じます。
昨今、先生の指導が聖教紙上を賑わせておりますが、去る三月二十二日の学会新館での指導の中で、恩師を偲び、身延の大聖人様の苦難のご生活を種々語られました。この指導を聞いた人々は皆感動したことと思います。そして先生もきっとこのような精神で質素に、辛抱して生活しているであろうと信じたに違いありません。
私は先生に訴え、お願いしたいのです。ここまで純真なる求道の内外の会員に語り指導されたのでしたら、
現代の庶民レベルの常識をはるかに超ゆる贅沢な先生の生活は直ちに止めて下さい。先生の生活の為の学会公費の乱費を排除すべく、先生自ら徹底的に努力すべきであります。それが指導者としての、せめてもの良心ではありませんか。
もしも今の生活が質素であると本当にお思いなら、それはすでに庶民の生活感覚から遠く隔った庶民遊離の人間ということになります。
先生を特別の人間と特別視し、特別待遇を許容する――これは大聖人の仏法に照らし誤りであると、私は自らの長年の考え違いを反省しつつ訴えずにはいられません。たとえ先生が大功労者であろうと、先生自らがかかることを許してはなりませんし、それを要求することなど、仏法指導者としては絶対あってはならぬことであります。
牧口先生も戸田先生も質素であられた、師として厳然としておられたが、特別待遇をすると叱られた、と当時の人々から聞きました。先生もそうあって下さい。
今一つの例を示したに過ぎませんが、人々の胸を打つきらめくような先生の指導、誰をもその通りだと納得せしめる道理の指導、こうしたすばらしい先生の指導と、先生の実際とにあまりに違いが多すぎるのではないでしょうか。徹底して「如所言如所行」の指導者であっていただきたいと思うのは、私のみでは決してないのです。先生が私に教えて下さったように、美辞の指導より如説の実践、策や政治性でなく、真実と誠意で私たちに対していただきたいと切願してやみません。
今こうして先生への忠言、諌言を書き綴っていますと、かつて先生のお側で共戦させていただいた思い出の数々が浮かんでまいります。叱られたこと、うれしかったこと、有難いこと、感動したことなどがいっぱい想い出されます。その私が、このような諌書を書き綴らねばならぬ無念さ、情なさに、筆をとりつつ何度も涙しました。でも私情に流されるわけにはまいりません。
仏法とはまことに厳しいものです。この七年改めて身にしみて痛感しております。そして先生たりとも、仏法に違背した分は必ず仏法によって裁かれねばならぬかと思いますと、どうしょうもなく、たまらない想いにかられるのです。
「はじめに」に述べましたように、もとより信心未熟、凡愚の身を顧みず、信心の勇気を奮い起こして敢えて強言の数々を連ねましたのは、ひとえに先生にこれ以上の誤りを犯してもらいたくない、善良なる会員をこれ以上苦しめることがあってはならない、仏法をきずつけてはならないと念い、願った故のことであります。改めて逆耳の強言をおわび致します。
もしも私のかかる言説に誤りがあり、仏法に違背するところがありましたら、甘んじて仏罰を蒙る覚悟でございます。
多年に及ぶ御厚恩への報恩の誠心をもって、以上認めました。
以て誠諫の書と致します。
昭和六十一年四月十五日 書了

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