2005/3/26
今日は私の親友と、娘の誕生日。
おめでとー!
昨日は久々に岡山のクラブに行ってきました。
高校の頃(ダンスを始めた頃)に出会った、ダンスの「先輩」達に
13年ぶり(?)ぐらいに会いました。
前回の「はじまり」に書いた初めて行ったダンスイベント
のDJさんにも会ったし、もうReunion状態。
うれしかったなー。
昨日のイベントのShowcaseはなかなか面白かったです。
ダンサーが楽しそうに踊っているのが一番良かったかな。
改めて、昔からの友人達・ダンサー達と一緒に岡山の
ダンスシーンを盛り上げていきたいな、と思いました。
で、告知です。
5月7日(土)
マライヤ・キャリーやウィル・スミス、リル・キムなどのバックダンサーとして有名なBobbyのHip-Hop Workshop 岡山初開講です!
ビギナー 8時PM〜 中級 9時PM〜
一般1クラス2500円 当日券1クラス3000円
場所:表町2-6-64エターフェビル4F カリヨンスタジオ
連絡:shinobu@NXGNonline.com
5月8日(日)
コンベックス岡山で開かれる
DUBカスタム・カー・フェスティバルにて
上記Bobbyと、New York最後のカリスマダンサー「Cebo」のShowcaseを行います。
その他、地元ダンサー達も参加予定。
車に興味がある人も楽しめるフェスティバルです。
入場料1500円

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2005/3/25
この頃付き合っていた拓馬(仮名)が、
先にWestside Hotelにチェックインして私を待っていた。
彼は大学が休みになるたびにNYに遊びに来ていた。
彼はNYのダンサーに惚れ込んでいて、
93年の夏に旅行した時は、
ミートディストリクトにあるクラブ「ミューズ」に
Hip-Hopダンサー達を見に連れて行ってもらったり、
今はElite Forceとして有名なMop TopのStretch達の
レコーディングに連れて行ってもらったり、
レアな経験をさせてもらった。
彼との出会いは高校の頃。
当時憧れていた高校の先輩がストリートダンスの
イベントに出場すると言うので応援に行ったとき、
ステージで踊っていた拓馬に惚れてしまった私。
写真を一枚撮ってもらってそれきりだったのに、
その6ヶ月後、初めて行ったクラブでばったり再開。
彼は実は彼女がいると知った時はショックだったけど、
「俺は東京の大学に行くし、もう彼女とは別れる」
という彼の言葉を信じて遠距離恋愛を続けていた。
同じく93年、
日本に初めてカリーフとピーターポールが来日した時、
私から2人にお願いして彼らが滞在していたホテルで
拓馬のサプライズ・バースデーをした。
女はそこまでしてでも、
自分の方に気を向かせようとする生き物。
でも、それでも彼は岡山に居る彼女と別れなかった。
3月下旬。まだ雪が降り続いている。
NYの安ホテルは、
NYのアパートと同じ独特の匂いがする。
部屋の暖房の匂いと、
ベースメント(地下)の乾燥機と柔軟剤の匂い。
恋焦がれたNYの生活感の匂い。
これから私の新しい生活が始まる。
昔の写真が無いのですが、
アッパーウエストサイドはこんな雰囲気です。
当時はもっとゴタゴタしてて、
黒人の割合が多かったです。


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2005/3/22
2週間ほど前の週末、旦那のイベントで鳥取まで車を運転してきました。
NYでは冬タイヤだったので、私も旦那もタイヤ・チェーンは初体験。
しっかりクラブに行く用意をして出かけたのに、豪雪の中、2時間もチェーンと格闘。
やっとチェーンを取り付けて走り出したら、
300度スピンしてガードレールにぶつかる寸前で止まりました〜
急いで車を脇に寄せると、後ろから来た人が、
「チェーン、前じゃなくて後ろタイヤに付けんと危ないで!!!」
家を出たのが12時。この事件が4時。鳥取までまだ半分ぐらいの地点なのに、
チェーン付け直してたらイベントに遅れる。。。。
真っ青になりながらも積もる雪の中でチェーンを付け直そうとするんですが、
なんせ手袋はない、なんにもない。。。
あきらめかけている時に、前に止まっていた車のレッカー車が来て、
その運転手が「レッカー呼びました?」と聞きに来たので、尽かさず
「チェーン付けてください!お願いしますっ!!」と泣き落とし。
5分でチェーンを付けてくれた。神様みたいだったです。。。
お陰でイベントにも間に合い、好評でした。
レッカーの運転手さん、ありがとうございました。
お陰様でワークショップもShowcaseも無事終了しました。
鳥取の皆さんありがとうございました!

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2005/3/10
到着した日は少し雪が降っていた。
ハイウェイから見えるマンハッタンが
すこしおぼろに見えてとても奇麗だった。
イエローキャブの運転手が、
アッパーウエストサイドホテルの場所がわからない、
と言ってしばらく迷っていたんだけど、
あれは多分迷った振りをして料金を上げていたんだと思う。
変なところへ連れて行かれなかったから良かったけど、
英語で何も言えなかったのが悔しい。
中学・高校で、英語だけは好きで得意だったのに、
全く通じない私の英語。
東部の人は話すのがめっちゃ早い
って聞いてたけど、ホントに早いし。
ダンボール箱を下ろしてもらって、
ホテル正面で荷物と戦っていると、
白人男性が「Are you OK?」
と言って声をかけてくれる
(このくらいの英語はわかる)。
「こ、これが噂の荷物泥棒?!」と身構えると、
男性がドアを開けて荷物をロビーに運んでくれた。
最初のカルチャーショック。
日本で男性にこうやって助けて
もらったことがなかったのでびっくり。
さっきまでの緊張がふっとんでいった。
Taxi Cab at JFK airport

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2005/3/7
1994年3月
憧れのニューヨークに向けて出発!!
93年には旅行に行ったけれど、
今回は留学。ドキドキ
私の荷物はダンボール箱2つ。
今考えたら、
よくダンボールなんかで移住したなー、と。。
しかも「ぼんち揚」(笑)
今の女の子には考えられないよね。
でも多分あの時の私は
ニューヨークに住める嬉しさと緊張で
スーツケースなんてどうでも良かった。
小さい頃から両親のアメリカかぶれが影響して
私は日本にとどまるべき人間ではない
と本気で思っていた。
でも最初に思いついた場所は
ニューヨークだけじゃなかった。
スペインもいいなぁ。
ニューカレドニアも海が奇麗だし暖かいし…
なんて思ったこともある。
だけど、小さい頃から洋画ばっかり観て、
マドンナ、マイケル、ジャネットやポーラの
音楽ビデオをスローモーションにして
ダンスを覚えたりしていた私が
自然と心に決めた夢の地はニューヨークだった。
そして今
私はその夢の地に向かう飛行機に乗っている。
だけど、やっぱり家族や友人と別れるのは寂しかった。
涙がポロポロでてきて止まらない。
写真はそのダンボール箱に当時のダンス仲間や親友が
メッセージを書いてくれているところ。

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