4月22日「五十一」4月30日「三宅伸治」5月7日「リクオ」と3人の「プロ」のライブを終え、一息ついているところです。「流れ者」のスライドギター。本当に「ヴィムベンダーズ」のロードムーヴィーのサウンドトラックに流れてきそうな、音数の少ない、地を這うような音。決してどこそこの「ライクーダー」ではない「五十一」のオリジナルなサウンド。たまりませんな!いつも思うのだが、いくら「男の音楽」とはいえ女性客をもっと集めなイカンナ!!そして女性客が圧倒的な「三宅伸治」と「リクオ」。同じロックンロールでも、「ギター」と「ピアノ」。しかも「ソロ」。開演前は静かな穏やかな青年。しかし演奏に入る直前、彼らのスウィッチはオンになる。圧倒的なリズム感、テンションも高く、客をぐいぐい引っ張る。五十過ぎのオヤジもついつい酒が進む。素晴らしいステージだ。そして終わってみれば彼らはまた穏やかな青年に戻って居る。今回気が付いたのは3人が3人ともステージ上で「高田渡」の思い出を語ったことだ。「ツアーミュージシャン」には独特の世界があって、その世界観と言うのは、「ジャンル」を超えた「共感」が支配している。今回は私の勝手な思いだろうが、彼らに共通する「死生観」のようなものを感じてしまった。5月6日「高田渡追悼集会」を勝手に開いていた私は気が付いたのだ。「渡」さんの「うた」はどの曲をお葬式で流しても全然違和感が無いと言うことに。「旅」に出ない「小屋のオヤジ」が「旅を続けるミュージシャン」に意見など言える立場ではないのだが、、、総ての「ツアーミュージシャン」に私は言いたい。生き急ぐな!死に急ぐな!と。「渡」さんが亡くなった日、息子の「高田漣」君は旅先でライブだったそうな、、、。

0