電車やバスの中、コンサート開演前のロビーなんかで目の前の友人や恋人と話しているように見えるのに、実は自分の周りの「気配」と話をしている人、見かけたことありませんか?何でこんな「振り」から入るかというと、僕は何に向かって書いているんだろうと考えてしまったからなのです。そしてたぶん僕の周りに漂っている「気配」に向かって書いているのだろう。と思ったのです。「遠藤賢司」の唄に「僕は君が怖かったんじゃない、後ろで笑ってる奴が怖かったのさ」というフレーズがありましたが、それは具体的な名前を持った「敵」などではなくもう一人の「他ならぬ自分」であったりするわけです。僕は「同時代人」の「気配」に怯えながら、「カミングアウト」のような形で「自己確認」をしたいのだろうと思う。
何故「カミングアウト」という言葉を持ち出したか?というと、あるフォーク系のライブを企画した方が、「僕はひょっとしたらズーッと、フォークが好きだったのかもしれない。」「周りの友人たちの前では恥ずかしくてズーッと言えなかった。」という内容の話をしたのです。僕はその時からかい気味に、「それってひょっとしたら、カミングアウトですか?」と訊くと「そうかもしれない」という答えとともに、「気持ちが楽になった。」という言葉を聞いた。それから妙に「カミングアウト」という言葉も引っかかっていて、僕もこの際「カミングアウト」をして楽になろうと思ったのでした。

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