ある人に「まさぼーは変わった」と言われた。
以前は柔らかかった僕は、何かをやり遂げたことによって、今や人を急かせる冷たい人になり果てた。自分は成熟。他人は未熟。そうやって誰かを見下して。…そう思われた。
「忙しい、忙しい。」
確かにそれが最近の僕の口癖だが…僕の毎日はそう、本当に文字通り、忙しいのだから皮肉なものだ…。
いったいどうすれば、満足してもらえるのだろう?
いったい僕を、どういう人物だと思っているのだろう?
きっと彼女は、「まだ僕を知らない」。
43年間。僕が生きてきた時間。
その大半を、まるで自分のものではないような息苦しさを感じながら、命からがら抜け出した長いトンネル。
肩が痛い。膝が痛い。目が霞む。息切れがする。胸が痛い。心が痛い。日一日と衰えゆく自分の体と心を、実感する毎日。
自分にできる精一杯の努力で幾ばくかの金を稼ぎ出し、家族の未来をほんの少し守った僕。
そう…それは、けっして永遠に続くものではない「ほんの少しの未来」。
家賃に家族3人の生活費。もしも明日から一銭の売り上げもあげられないとしたら、タイムリミットは1年半。それだけ経てば、僕たちは自動的に一文無しになる。
だから、疲れた体と心に鞭打って、僕は明日も闘う。
父がこの前僕にこう言った。「お前は頭もいいし、確かに精一杯やってくれてる。しかしな…現実は、それを上回るぐらい厳しいのや。」
現実なんてものが厳しいのは、今に始まったことではない。現実なんて、昔っからずっと厳しいのだ。
面倒なことは全て母に肩代わりさせてきた父は狡い。
狡いから、厳しいことは全て現実のせいにする。世の中や社会のせいにする。
だけど、そんな父も生きている。いや、こうして弱音や愚痴をこぼすような人に限って、生への執着は誰よりも強かったりするものなのだ。
父は子供だ。まだまだ精神的に未熟な、白髪頭の大きな子供…。
だから僕が守ってあげなければいけない。守って長生きしてもらって、たくさんいろいろなことを教えてあげなければいけない。それが、ここまで育ててくれた親への、心ばかりの恩返し。僕からの愛だ…。
僕が変わったと言った人は、「未熟」と言われるのが嫌いだ。「若い」と言われるのも、たぶん嫌いだ。
僕が彼女を「未熟」と言うと、彼女は必ずいつも二元論で、僕を「成熟」と見做す。
『未熟←→成熟』。
私は「未熟」。あなたは「成熟」。
人を未熟者呼ばわりしやがって!自分は成熟した大人ぶりやがって!
しかしちょっと待ってよ…。僕は確かに君を「未熟」と言ったが…自分を「成熟」なんて、いつ言った?…
「未熟」ってのはね、可能性があるってことだよ。伸びしろがあるってこと。未来があるってこと。
僕だって、未だ発展途上の未熟者。まだまだクリアしなくちゃいけない課題が山積みさ。わかんないことを必死で勉強する毎日さ。
だって僕は、こんなところで終わるつもりはないもの!
田舎の街の一介の小売り店の店長になって店を任されて。だけどね…こんなところが僕のゴールじゃないし、僕達の商売で言えば僕なんかまだ、「仮縫い」にも到達してないかもしれない。
長い長いトンネル。だけど、それを越えてホッとしている暇なんて、ないんだ。
トンネルの先には、確かに光のさす世界があった。だけどね…その光もまた、自家発電。頭と体をフル回転させて発電しなくちゃ、光は消えてしまうから。
そしてその光は、僕だけを照らす光ではないの。僕を信じてくれる家族のみんなを照らし出す、大切な灯り…。
やっと灯ったこの灯りを、けっして途絶えさせるわけにはいかない。僕の肩には今、トンネルの中にいた頃以上の、いやそれとは比べようもないぐらいの責任感がのしかかっている。
だからきっと、僕は「変わった」。いや、「変わった」ように見えるのだろう。
僕の見た目が、僕をよく知らない誰かの目にどんなに「変わって」見えたとしても…僕の本質は変わっていないということは、一番身近にいる僕の妻ざわりんや僕の妹がよくわかってくれてる。
「未熟」という言葉に、ついつい過敏になりがちなのは、きっと自分に自信がないせい。
どんなに背伸びしたって、足が疲れりゃ元通り。だから無理はしないで、少しずつ歩いていけばいいだろう?
自分のペースで。焦らず、慌てず、一歩一歩。たくさんぶつかって、たくさん失敗して、たくさん悔しい涙を流して。
涙の河に小舟をのせて…モーターに頼るインチキなんてせずに、体を使って一生懸命漕いで…。
僕だって、そうやってきたんだ。誉めてよ。
僕だって、必死なんだ。わかってよ。
僕だって、しんどいんだ。
僕だって、悲しいんだ。
命がけなんだよ、オレは!
以前、こんな僕のブログに「命がけとはご大層ですね(笑)」とコメントした輩がいた。
そうだよ。命がけだよ。命をかけて何が悪い?
大切なものを守るために命をかける人間を、いったいどうして彼は笑えるの?
「命がけなんてダサい」と白けた訳知り顔なのか、それとも命をかけるべき何かをまだ知らない坊ちゃんなのか?
大人をナメんなよ。
まだまだ未熟な自分を自覚しながら、明日は今日よりマシな自分になろうとして日々努力を繰り返す人間を、ナメんなよ。
白けた顔してボサッとしてたら、ますます遠くまで行っちまうぞ。一生かかっても追いつけないぐらい離れて、アンタの目には見えない場所まで行っちまうぞ。
あとで吠え面かいて泣くんじゃねえぞ!
人間の一生に、休む時なんてあるのかな?
忙しい人だって、暇で時間を持て余す引きこもりだって、みんな何かと闘ってる。
生きるってことは、闘うってこと。
僕達はみんな、空から落ちた未熟な落ちこぼれの天使。この世に生をいただいた限りは、少しでもより良い自分になれるように、いろんな面で努力するのが、僕達の仕事。僕達の使命。
だから、未熟な自分を全肯定して、「大人なんか嫌いだ!子供のまんまで充分だ!」なんて居直ってしまったら、神様が悲しむよ…。
神様なんて、僕達一人一人の中にいるはず。僕はそう思ってる。だから僕は、神様を愛する誰かさんには、嫌われてしまったよ。
あまりにも、チンケな話じゃないか。
あまりにも、些細なことにこだわり過ぎじゃないか。
そうやって、小さなことに心を揺さぶられては感情的になるから、いつだって大切なことを見失うんだ。いつまでも、トンネルの先に辿り着けないんだ…。
人は皆、神の子。だから潜在的にみんなわかっている。トンネルの中にいたほうが、ずっと楽なのだということを。
トンネルの先の世界が怖くて堪らないから、なんだかんだと言い訳を作る。自分を正当化する…。
「変わる」ってことは、そんなに悪いことなのかな?
誰かを守るために、どうしても「変わる」ことが必要だとしても、それでも変わっちゃいけないのかな?…
ごめんね。僕は、先に進むよ。たぶんもっと遠くへ、旅に出るよ。
だけど、もしも君が僕をまだ必要とするなら、大声で呼んでくれさえすればいい。「お〜い!まさぼー」って。
これまでと変わらない笑顔で、僕は君のそばにいるだろう。
僕は僕だよ。何一つ変わっちゃいないんだ。
雨の日もあるだろう。風の日もあるだろう。それでも同じ空の下。
僕の留守中、切り株をせっせと磨いてくれた、君に感謝。
未熟な僕から、未熟な君へ…心からのありがとう。
頑張れよ、
ナゴちゃん。

1