ブログ開始当初からの長い友人であり、コメント欄の常連でもある、GREENちゃん。
http://greenspt.blog119.fc2.com/脳性麻痺という病気で手足に不自由を抱えながら、仕事に、理学療法にと前向きに取り組む彼女が、僕は大好きだ。僕たちは病気や障害を超えて「普通に友達」であり、普段、メールやブログのコメントで冗談を言っては笑い合える仲間だ。
そんなGREENちゃんが前回の記事『エンジェル・ベイビー』に、こんなコメントを書き込んでくれた。
「『障害者』という書き方も差別を感じていた私です。
障がいがあっても誰にも害はないと思う。
でも書き方がそうだから仕方ないよね。
私の地元ではこれから一部のモノを除いて、『障害者』ではなく、『障がい者』という表記されるようになります。
嬉しいです♪
もっともっと沢山の人に知って欲しいね。」
辞書をひいてみると『障害』というのは、以下のような意味である。
しょうがい
[障害](障碍)
@妨げ.じゃま.
A心身の故障.
要するに、心や体に何らかの故障を抱える人のことを『障害者』と世間では呼ぶのだが、言うまでもなく障害者に「害」などない。
障害は、「害」を当事者が被るものでもなければ、「害」を相手に与えるものでもないのだ。
にもかかわらず世間一般で「害」という表記がされるのはおそらく、「障害者は大変な病気を抱えて大変だね。可哀想に…」という対岸の火事的発想から来る妙な憐れみと「障害者は社会にとって迷惑だ」という上から目線の誤った偏見によるものだろう。
この表記問題については、僕も悩んだ。
GREENちゃんから以前『障碍者』という、もう一つの呼び方を教えてもらった時、それで表記していこうかとも考えたが、漢字が難しいために、読んでくださる皆さんに理解していただきにくいのではと思い、心ならずも一般的な呼び名である『障害者』と表記し続けてきた。しかし心の中にはいつも、「害」ではなくてGREENちゃんが教えてくれた「碍」という文字を携えてきたつもりだった…。
これから当ブログでは、「害」ではなくわかりやすく平仮名で「がい」と表現して、『障がい者』と表記させていただくことにしたい。
僕自身、脳と心の両方に障がいを抱える者である。
我々障がい者は、社会に出て働く場合、皆さんと同じペースで働くことが難しい。それを捉えて「だから迷惑なんだ!社会に害を与える者なんだ!」と思う方々も中にはいらっしゃるのだろう。もしかしたら現状、そういう方が多いのかもしれない。
しかし、それはあくまでも「健常者を基準にした考え方」。世の中には、そうではない人も一緒に暮らしているのだということを忘れないで欲しい。
多くの方々が疑うこともなくいつも支持する多数決は、少数派を切り捨てることによって成り立つ発想であり、差別につながる。それは、本質的な解決方法ではないのだ。
障がい者は、けっして「害」をもたらすものではない。
体や心に手枷足枷を課題としていただいて、世の中に「大きな愛と赦しの心」をもたらすために送り込まれた、メッセンジャーである。
多数派である健常者の方々に、自分たちとは異なる状況下で生きている者もいるのだということに理解を深めていただき「相手の立場に立って、ものを考える」という学びをしていただくために、我々は存在している。
もちろん僕たち障がい者の側も、努力を怠ってはいけない。
障がいを抱えて生きることは確かに想像を絶するつらいことではあるけれど…卑屈になったり被害者意識をつのらせるばかりではなく明るく前向きな気持ちを持ち、自分たちにできる精一杯の誠意で、多数派の皆さんのペースを乱さないように頑張らせていただく必要がある。
しかし如何せん今、世の中のペースはあまりにも速過ぎる。
何事も物質至上主義的で、効率やスピードが優先される昨今であるから、我々にはついていくのが難しいことを多数派である健常者の方々にはご理解いただきたい…。
今、日本に必要なのは「スピードダウン」である。
健常者と障がい者…お互いがお互いの立場に立って考えられる社会、愛に満ちた「誰もが生きやすい社会」に変わってゆくために…今こそ「物質の時代から心の時代へ」の変革が求められているのだ。
障がい者を「害」と見なす人々には、同じ青い空の下で同時代を生きているのだという当事者意識が欠落している。
自分よりもペースの遅い人が隣にいた場合、「なんでアイツはあんなに遅いんだ!迷惑だ!」と頭に血を昇らせてバッシングするだけで終わらせるのではなく、「なんでアイツはあんなに遅いんだ?きっと自分にはわからない事情があるのだろう」と相手の立場に立って考え、じっくり話し合ってみれば良いと思う。
そうすることが、その方本人にとっても大きな学びの機会であり、一人一人が一度しっかり立ち止まって「愛の心」に目覚めてゆくことこそが、このギスギスした日本社会を変えてゆく、遠回りな近道である。
これは、ネット上の掲示板などでの差別や無意味な小競り合いをなくすにも有効な方法だ。
揚げ足をとる前に、まずは自分をみかえること。
同じ社会に生きる一員として当事者意識を持ち、全ては対岸の火事ではなく自分自身の問題と捉え、日々の成長の糧とすること。
社会の変革は、隣の誰かを思いやる「小さな愛」から始まるのだ。
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ありがとうございます。

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