昨日の夜、ブログ友の一人(30代女性)と久しぶりにメールして近況を聞かせてもらったところ、こんな話が出た。個人のプライベートのことなので当然個人名は伏せて、仮に「Aさん」とでもさせてもらう。
彼女は一昨日、彼氏と自分と、彼が二股をかけているもう一人の彼女の三人で、話し合いを持った。
その結果、彼は女性二人を前にして「Aさんのところに帰る」と言ったが、もう一人の彼女はそこで「実は生理が来ていない」と言い出した。そして、それでも彼はAさんのところに戻りたいと言った。
彼はそのあとAさんにこう言った。「彼女が仮に妊娠したとしても金で解決するよ」と。
Aさんは、彼が自分のところに戻ってきてくれるのは嬉しいけれど、彼女の発言のこともあるから複雑な気持ちで、いろいろありすぎたから訳がわからない。だけど、彼はもう離したくない。だから今は慎重に様子を見ているのだと僕に話してくれた…。
さて、この一件に関して僕がAさんに送ったメールがこれである。当然こちらも個人名は「Aさん」に替えてある。
「きつい言い方に聞こえたらごめんね。だけどAさんの幸せを考えると、どうしても言わなきゃいけないから…。
お話を聞かせてもらって率直な感想を言わせてもらうと…残念だけどあんまり良いヤツじゃないね、その彼は…。
三角関係の女性に金で解決(避妊?)を迫るような男性は、必ず後でAさんにも同じことをする気がするよ。少なくとも、それをしないという保証はない。
Aさんの恋があまり上手くいかないというのは…Aさん自身の男性観というか男の選び方や見る目を、少しずつ変えていったほうがいいんじゃないだろうか?
危険な男やヤンチャな男は魅力的に見えるかもしれないけど、人は皆、だんだん年を重ねるごとに大人の恋愛に移行してゆくべきだと思うの。いつまでも若い頃のまんまの恋愛では破滅しかねないからね。
僕は、Aさんが心配なの。
なんだかAさんたちを見ていて、確かに恋愛らしきものはしてるけど、不幸に向かってひた走っているように見えてしまう僕がいる。
もう少し真面目というか、誠実な男性とは恋愛できないだろうか?
いきなり不躾な言い方で、ごめんね。でも、さっきのメールの話はヤバいよ。」
しばらくしてからAさんから返事が来た。そこには彼女の彼への想いと女心が切々と語られていて、胸が痛んだ。
彼女はこう言った。むしろ自分のほうが前は酷かったのだと。自分にもいろいろあったにも関わらず、彼がそれを支えてくれたのだと。彼は「女性に関してだらしないだけ」で他は普通の環境で育った人だから、むしろ訳ありの彼女をよく支えてくれたと感謝しているのだ。経済面でもやむなく支えてもらっていたことがある。彼の良いところ、悪いところ、側でずっと見てきたからわかるのだと。
そして心優しい彼女は、いきなり不躾な話をしたかもしれない僕の気持ちまで察して、こう言ってくれた。「まさぼーさんがすごく私を心配してくださり、すごく親身な意見嬉しいです。でもごめんなさい、どうしても私には彼が必要です。きっとすべてを知ったとしたら、彼を見る目が変わると思います。」
さて…ここまで読んでくださった方に公平を期するため、僕は自分のことを改めてカミングアウトしなければならない。僕もまた、Aさんの恋人と同じく、三角関係…僕の場合は既婚者であるので、いわゆる不倫の経験者である。
子供には子供の恋愛があるように、大人には大人の恋愛がある。僕自身若かった頃にはわからなかったことが年を重ねるにつれわかり、価値観が変わった。だから、三角関係や不倫というものを頭ごなしには否定しない。
しかしそれには、ものすごい「人間力」が必要である。わかりやすく二人でつきあってゆくのとはまた異なる、大きな大きな愛が必要である。そしてできれば、当事者である三人全員にそれが要求される。
通常、非常に困難なそれが実現される場合に限ってのみ、三角関係は可能であるというのが、経験上得た僕の結論である。そして僕自身の場合は、まだ若かった僕の彼女が「私には、もう無理です。」とギブアップした瞬間に終わりを迎えた。
もちろん僕は、彼女を追いかけるような真似はしない。彼女が一生懸命考えて出した結論を受け入れて、それっきりだ。最後の言葉は「私は今でも、あなたを愛しています。」だった。僕の答えは「幸せになるんだよ。」だった…。
もちろん形式上は綺麗に別れても、心の中には愛の大きさに見合うだけのとてつもない喪失感が残った。心に病気という爆弾を抱える僕は案の定具合を悪くし、真っ当にもがき苦しんだ。それをブログにも書いた。
しかし、耐えた。
それに耐えることが、彼女への、そして妻ざわりんへの愛だと思って、ひたすら耐えた。
「発つ鳥、あとを濁さず」ではないが、綺麗に終わらせることもまた愛なのだと思うからこそ、泥仕合にはしたくなかった。
これはかつて僕が、ざわりんと知り合う前…23〜4歳の頃に、当時の婚約者が他の男性と愛し合うようになってしまい、別れた時に既に学んだことだった。
何故こうもすんなりと別れられたかと言えば…彼女は僕を愛し、妻ざわりんも僕を愛し、そして僕は彼女も妻ざわりんも両方愛し、そして一番重要なことだが…彼女と妻ざわりんもお互いに好意を持って認め合っていたからだ。だからお互いの幸せを祈りつつ、こういったケースには珍しいぐらい穏便に、そして綺麗に別れた。
僕が先のAさんの恋人の話に違和感を覚えたのは、彼ともう一人の彼女の間に、子供という新しい命が誕生していた可能性が高いことである。
もしも、僕が彼の立場であったらどうするか?僕なら迷わず、子供ができた彼女を選ぶ。何故ならば、男と女の三角関係は新しく生まれてくる子供には何ら関係がないことだからだ。
どんな状況で生まれてこようと、子供は子供である。子供には、罪はない。ただ、この世に生まれたい。それだけだ。
彼は、それを「金で解決する」と言った。僕にはそれが、同じ男として情けない…。
危険な橋を渡るならば、危険に見合っただけの責任がつきものだ。自分の尻は自分で拭う。最低限それだけはしっかりしないと、なんだか自分だけいつも得ばかりしているような気がして…僕ならば居心地が悪い。
男としてのプライドの問題だ。その点において疑問を感じるから、Aさんには本当に申し訳ないが、今の彼女の恋愛を支持することはできない…。
彼がもし「子供の命はオレたちには関係ない。だから、この子を生かしてあげようよ。」と口火を切り、「Aさん。オレはキミのことを愛してるよ。だけど、これだけはどうしようもない…。だからオレはキミのところには戻れない。きっと幸せになってね。」と言える人であるならば、僕もAさんの友人としてホッとするし、彼女の男性を選ぶ目は確かに正しいとそう感じたことだろう。
それができなかった彼は、自分の幸せだけを考えているのではないだろうか?
結果的にこれからAさんがどんな形で彼と愛を築いてゆくのかはわからないけれど…僕は、そう思う。
世の中には、ジェットコースターみたいな恋愛が蔓延している。
それはひたすら刺激的で、アップダウンが激しく、乗る人を夢中に酔わせるだろう。
しかし遊園地の乗り物は、ジェットコースターだけではない。地味で派手さはないがじんわりと愉しいコーヒーカップだってあるのだ。
ジェットコースターとコーヒーカップ。どちらを選ぶかは個人の自由であるし、僕は自分の意見をことさらに押しつけるつもりはない。
ただ、一つ言えることがある。激しいジェットコースターは確かにドキドキする。しかし誰かが止めるまでは、降りることができない。そのスピードに疲れても疲れても、ひたすらそれは走り続けるのだ。
コーヒーカップは、自分でハンドルを操作できる。自分たちのペースでコントロールできるから、疲れないし飽きが来ない。だから年を重ねるにつれ、次第にそんなゆっくりした愛の形に徐々に移行してゆくのが、男女の関係を長続きさせるコツだ。
僕は昨日の日曜日、妻ざわりんと地元の和歌山城公園を散歩した。
街でラーメンを食べ、公園内の芝生でたこ焼きの折りを広げる。小さな動物園で熊を見て、小高い丘に登る。地味な休日。しかし、じんわりと幸せだ…。
鬱蒼と生い茂る緑の中、妻ざわりんとベンチに腰かけて、かつての僕の恋人のことを語り合った。
彼女は、本当に可愛くて、聡明で、とても魅力的な女性だった。妻ざわりんも、彼女のことを気に入っていた。
青空の下、行き交うカップルや家族連れを眺めながら…二人で、彼女の幸せを祈った。
愛に終わりはない。その愛が本物であれば、だ。
愛には時折、
けじめがあるだけだ。
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