お昼に仕事に行くフリをして出かけて、外をほっつき歩く毎日が続いている。
母のデイサービスの迎えに行く父の車に出会わないように注意しながら、自転車で街を行く僕。
ブックオフ、ドン・キホーテ、公園、図書館、ショッピングセンター、街の小さな中古CD屋、マクドナルド…極力お金は使わずに時間を潰して、夕方に帰宅する。正気を保ち、明日を失くさないためには、嘘も必要だ。
昨夜は、銀行に振り込まれた僕の少ない給料を元手に、ざわりんとささやかな飲み会を我が家で開いた。安上がりな2人は、ビールと缶酎ハイですっかりホロ酔い気分。しばらく不眠に悩まされていた僕も、やっとぐっすりと気持ちよく眠ることができた。
最近はもっぱら雨宮処凛
http://www3.tokai.or.jp/amamiya/の本を読み、ムーンライダーズ
http://www.google.com/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.moonriders.net%2F&hl=ja&mrestrict=xhtmlchtml&inlang=ja&client=ms-kddi-jp&q=%E6%AD%A6%E5%B7%9D%E9%9B%85%E5%AF%9Bの結成30周年記念映画『マニアの受難』を繰り返し観ている。
『マニアの受難』は、単にライダーズというバンドの活動30年という日本音楽史に残る偉業を讃えるだけではなく、全ての音楽に携わる者たち…音楽を聴く者(リスナー)、音楽に携わる者(ミュージシャン&音楽業界人)にとって、とてつもなく重いメッセージを突きつける傑作であった。
制御不能な暴走を続ける資本主義の世の中。次々に登場し、売れては消える自称アーティストたち。
そんな中、いわゆる“ヒット曲”のないライダーズが、この日本の音楽界において、どうして30年という長きに渡り、現役足り得たのか?
それは、「好きなことをやり続けるために、レコード会社が要求する“売れ線”を拒否した」という、アーティストとして非常に重く尊い選択をライダーズの6人の男たちが選んだのだということ。
“好きなことができる場所”を守るために。
世間に迎合しない“自由な表現”を続けるために。
これができないミュージシャンやアーティストのいかに多いことだろう。ヒット曲が欲しいレコード会社の要求に流されて、あるいは一攫千金を夢見て…自分らしさを金で売り、身の丈に合わない“売れ線”の楽曲を作っては市場に消費され、消えてゆくアーティストたち。
資本主義と表現は、永遠のいたちごっこ。金に負け、誘惑に負け、欲望に負け、自分に負ける。
こうしてCDショップの目立つ位置に“面出し”で派手に陳列されていた人気アーティストとやらが、3年後には店の外のワゴンセールで叩き売りされる。「1枚100円」で。
そもそも、音楽に値段をつけること自体に無理があるのだ。
ポスターにバッジ、果てはイヤフォンやCDケースまでオマケについた、きらびやかなヒットアーティストのCDと、何のオマケもつかない無造作なライダーズのCD。
それでも僕は、迷うことなく、いつだってライダーズを買う。
僕にとって“流行りもの”のヒットアーティストのCDは、何の価値もないからだ。値段をつければ1円以下。タダであげると言われても要らない、無用の長物だ。
僕は長年のライダーズ・フォンだから、ライダーズを買う。
そこには「ライダーズなら間違いない」という、信頼感がある。ライダーズならば3000円以上の価値があり、きっと何十年先になっても変わらない笑顔で楽しめるだろうという予測が成り立つから、大事な身銭を払ってライダーズを買う。
ヒットものに手を出す人というのは、いったい何なんだろうか?
その音楽の賞味期限は、せいぜいが1〜2年。急速に価値を落とし、ゴミ同然になるのは目に見えているのに、どうしてそれを買う、あるいは“買わされる”のだろう?
巧みな宣伝と、テレビ番組やCMとのタイアップ。“売らんかな主義”なレコード会社の思惑に乗せられて、今日も中身のない音楽が爆発的に売れて、莫大な利益を生む。
音楽は、コンビニのおでんじゃないんだよ。
チョビ髭つけた広告代理店やレコード会社のオッサンどもによって企画され、オーディションでルックスの良い順番に青田買いされ、売り出されるアーティストの“アート”って、いったい何を表現しているんだろう?
「それはアートではなく、ただの“商品”だ」と言ったら、僕も「このマニア野郎!」と笑われるのだろうか?…この国には、笑えないことで笑う、思わず笑っちゃいたくなるような人々が多過ぎる。
今、我が国の最低賃金は、全国平均で「時給673円」らしい。
その結果、“ワーキングプア”と呼ばれる、働いているにも関わらず生活保護水準に満たない暮らしを強いられている層が、激増している。
雨宮処凛は、著書『生きさせろ!〜難民化する若者たち』の中で、こう語っている。
「なぜ、こんなことになったのか?(中略)95年、日経連が明確に宣言したからだ。これからは働く人を3つの階層に分け、多くの使い捨ての激安労働力にして、死なない程度のエサで生かそう、と。つまるところ、国内に“奴隷”を作ろうという構想だ。なんのことはない、この状況は10年以上前から用意されていたのである。まったくもって若者の“やる気”や“モラル”などは一切関係ない。そんなものは現実から目を逸らさせるだけの真っ赤な嘘ということだ。」
お金を稼いだ者が勝ちで、お金を稼げない者は負け。そんな価値観に覆い尽くされた世の中で、ニートやフリーターに対する風当たりは強くなる一方。しかし、「ニート=怠け者」と見なし一方的に罵倒や批判を繰り返すマスコミや世論は、いかがなものだろうか?
ズルい人間というのは、自分に都合の悪いことは、いつも他人のせいにするものだ。もっともらしいことを真顔で言う人間には、ひたすら注意しなければならない。
資本主義、市場の論理は、音楽という“アート”の世界すら浸食している。全てをお金に換算し、その価値を振り分ける。
しかし、時代とともに移り変わるものには、最初から価値などないのだ。いわば、存在しないもの(イメージ)を売っては商売にする、まるでペテン師のような人間に騙されてはいけない。
この世で最も価値のあるもの。それは、「自由と愛」だ。
自由に、自分らしく生きること。
好きな人と一緒に、好きなことができること。
この2つに勝る、価値などない。
アーティストをしていても、フリーターをしていても、ニートをしていても、大切なのは自分らしくあること。
鈴木慶一、鈴木博文、白井良明、かしぶち哲郎、武川雅寛、岡田徹。
ライダーズは、偉いよ。日本には数少ない、本物のアーティストだ。だから僕は30周年のこの機会に改めて敬意を表し、心からそれを祝福したい。勇気という、かけがえのないものを、彼ら6人からもらったから。
“ぼくは運べない 交換できない ものが好き
売りものにも 何にもならない ものが好き
ポケットにも 入れられない ものが好き
戦争になっても 持って逃げれない ものが好き”
(ムーンライダーズ『マニアの受難』より)
職業;自分。
お金に換算できない、自分自身でありたい。

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