結局、昨日の夜はあまり眠れずに、灯りの消えた暗い部屋でずっと考え事をしていた。妻ざわりんとも、たくさんたくさん話し合った。
心も体も、疲弊しきっていた。まるで、死刑囚が断頭台に向かうような…そんな切羽詰まった、ヒリヒリした一夜だった。
僕の病気と僕の仕事。
これは、昨日今日始まったような軽い問題でもなければ、明日には解決するような簡単な問題でもない。過去から現在そして未来へと、僕という人間が生き続ける限り、連綿と続いてゆく問題…僕の十字架だ。
僕には、自分ではどうにもならない好不調の波がある。それは、ある日突然やってきては、やる気満々で有頂天の僕を体ごとさらってゆく。
それを、生活習慣病だ、性格の問題だと、まるで医師のように診断し批評することは誰にでもできるが、それを解決する処方箋は、存在しない。
いや、正確には、あるにはあるのだ。
有名な“森田療法”のように何年かの間、全寮制の施設に入り、時間をあらかじめ区切られた中で社会人として馴染める人間に生まれ変わること。しかし“森田療法”には成功例の反面、批判も多いように、それは僕という人間がこれまで生きて感じた全ての出来事を全否定して、一から作り直すということでもある。そして、それには大変なお金と時間がかかる。42歳の僕には、時間がない。お金もない。。
大好きな『カッコーの巣の上で』の映画を観ていつも感じることだが、医学的に人格を作り直された人間は、もはやその人ではない。その人の形をした、別の生き物。いや、人の形をした、ただの容れ物だ。
確かに生きづらい。残酷なまでに。
しかし、生きやすい自分に生まれ変わって生きるより、僕は、僕のままで生きることを選んだ。最大の理解者であるざわりんもまた、それを望んでいる。
夜が明け、朝一番で職場に電話を入れた。僕は…仕事を辞めることにした。
馬車馬のようにがむしゃらに頑張った、この一週間余りの短い時間は、好調な僕だった。しかしそれは、けっして長くは続かない、蜃気楼。病気というどんより重たいベールを突き抜けて時折降臨してくれる、“元気に見える僕”なのだ。
職場の若い仲間たちが、そんな僕のことをこう言っていた。「お喋りがすごく上手で、コミュニケーションが得意なんですね!僕たちも見習って頑張んないと!」
そう…それも確かに、僕の姿。Time bomb(時限爆弾)付きだけどね…。
退社の理由は、肝臓の不調にしておいた。人の目には見えない心の病気は、理由にはならない。。
主任や職場の同僚には、感謝の気持ちしかない。
まだ可能性のある何かに、自分からサヨナラを言うのは、本当に本当に悲しいね…。僕は今さらながら、それがわかったよ。。
僕が24の頃に、僕のもとを泣きながら去っていった、元婚約者。
そして一昨年、メール一本で突然の別れを伝えてきた、13歳年下の可愛い恋人。
彼女たちが、その時どんな気持ちだったのか…こんな時にわかってしまう僕は、鈍感だ。。
そう…鈍感。とても鈍感なのだ。だからこそ人は、生きてゆけるのかもしれない。
一年間に及ぶ、それなりに真剣な恋を、メールだけでおしまいにしようとした彼女を、責める気持ちには到底なれない。
別れを告げる言葉の後、なおも届いた一通のメール。それを僕は、生涯忘れることはないだろう。
「あなたのことが、今でも好きです。」
愛は、終わってはいなかったのだ。そこには、やむにやまれない理由があって…愛はまだそこにあるのに…恋を終わらせざるを得なかったのだ。。
かつて人気があった日本の格闘技団体PRIDEの魅力を評して「圧倒的現実」と呼ぶ人がいた。
ファンにとって思い入れ深い人気選手が無名の外国人たちに次々に敗れてゆくその姿に心をペシャンコにされながらも、目を離すことができない。そんな意味合いの言葉だったと思う。
しかし僕は、皆が「激しい」「厳しい」「残酷だ」と声を揃えて言うPRIDEですら、それほどのものだとは思えなかった。
PRIDE最後のグランプリで、人気者のミルコ・クロコップが優勝したように、特定の選手に対して露骨なプロテクトがあるその大会を、「圧倒的現実」だとは思えなかったのだ。
ミルコはその後、PRIDEグランプリ王者の肩書きを引っさげて、米国一の格闘技団体UFCにチャレンジした。
あっさり王者にまでたどり着くだろうという本人と周囲の期待を裏切り、ミルコは“オクタゴン”と呼ばれるUFCの金網の中、無名の中堅選手に自らが得意とする左ハイキックでKO負け。足首を折るオマケまでついた。
そして迎えた再起戦。ミルコの相手は、デビューしたばかりの新人選手だった。
地元クロアチアからやって来た大勢の応援団が見守る中、ミルコはまたしても、何もできず完敗。今度はあばら骨を折られる惨めさだった。
PRIDEでの、あの鮮やかな勝ちっぷりは、いったい何だったのか? …そこには、「圧倒的現実」をもはるかに上回る「絶望的現実」だけが横たわっていた。。
僕たちの人生も、まさしくそんな感じだ。
八百長もペテンも一切通用しない丸裸の世界で、信じられるのは自分の力のみ。倒されても倒れされても、悔しかったら必死でまた立ち上がる以外に、道はない。
格闘家には、敗戦が続けば、引退という選択肢がある。しかし、人生に、引退はないのだ。
妻ざわりんと相談に相談を重ねた結果、何か二人で一緒にできるような仕事を探してみようというのが、今のところの結論であり、予定だ。そうやって生活のペースをつかみながら、これまで以上に“書くこと”を頑張っていこうと思う。僕にできるのは、それしかないのだから。。
また新しいチャレンジが始まる。
足首を挫いても、あばら骨を折られても、死ぬまで終わることのない闘いは、これからも続いてゆく。
リングの上で。
金網の中で。
場所を変えても、闘うのは自分。
声援を受けても、負ける時は負ける。逆に声援がなくとも、勝つ時は勝つ。だから僕の友達は皆、気の長い人ばかりだ。
目に見える闘いと目に見えない闘いの狭間で、僕たちは、血と汗の滲んだグローブを握り締める。
立ち上がれ。
立ち上がれ。
立ち上がれ!
左ジャブ!
右フック!
前へ。
前へ。
前へ。
前へ!
前へ!!

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