世の中ってヤツは多数決の論理で支配されている。それは、個々人がことさらに意識せずとも、ごく自然に意識下に刷り込まれ、その人の行動を知らず知らずのうちにコントロールする。
多数決の論理は、小学校で始まる。学級会やクラス委員の投票で、“多数決という常識”が、しっかりと刷り込まれる。
どうして何かを決める時、多数決を基本とするかと言えば、「分かりやすい」からだ。
一部の少数派の意見までいちいち汲み取っていては、何かを決めるのに時間がかかり過ぎる。民主主義の名のもとにおいても、やはり効率という名の速度(スピード)が重んじられること。それを僕たちは、子供の頃に教えられるのだ。
子供たちはやがて成長し、大人になる。そして社会に出て、多数決の意味を改めて思い知る。変わり者には生きていきにくい世界で、多数派と呼ばれる“普通の人々”の常識に合わせることを強要され、少数派である“普通ではない者たち”の常識は、いつだって無視される。
女子プロレスラーに、真琴という選手がいる。
元引きこもりにして、対人恐怖症。線の細過ぎる、およそレスラーらしからぬ体に、不釣り合いな長身。生っ白い面長の顔。
攻撃はやたらと弱々しく、そのやられっぷりは度を越して悲惨で、場内の生暖かい笑いを誘う。
彼女がリングにデビューした時、ファンや関係者が期待したもの。それは、対人恐怖症を克服し、強く逞しくなってゆく彼女のドラマだった。
しかし実際の彼女は、そんな期待を良くも悪くもあっさり裏切った。その弱さの度合いが、周りの理解の範疇をはるかに超えていたのだ。来る日も来る日も、やられてばかり。しまいには自ら仕掛けた四の字固めで自分の足が痛くてギブアップ(!)するという、いまだかつてないそのヘタレっぷりに、当初の期待とは異なったベクトルの不思議な人気が出始めた。
彼女の試合は、分かりにくい。だから関係者も彼女をどう評価していいのか、今も頭を悩ませている。
元来、強さを求められるプロレスの世界で、弱いが故に目立つという真琴の離れ技。それを引きこもりの意地だとか対人恐怖症の根性だとか評価するのは簡単だが、それらは全て的外れだ。だって彼女には意地などないし、根性もないのだから(苦笑)。
だいたいが、対人恐怖症だというのにプロレスラーになろうと思ったこと自体、ワケが分からない。痛くて苦しいのが当たり前のプロレス。だからこそ選手たちは皆、勝つために練習するのだが、彼女にはそんな努力すら見えないのだ。
不思議な少女。不思議なレスラー。結局、真琴のことは真琴にしか分からない。
分かりやすさを求める世の中で、彼女の存在は明らかに異質な光を放っている。「なぜプロレスラーになったの?」という質問に、口下手な彼女はきっと、自分でも上手く答えられないのではないだろうか?
「真琴って、普段どんな子なんですか?」そんな記者からの質問に、彼女をよく知るベテラン選手はこう答えたという。
「いい子ですよ!挙動不審だけど。」
ダハハ!思わず僕は嬉しくなって笑ってしまった。やっぱり挙動不審か〜(苦笑)。うんうん!挙動不審でもいいじゃない!分かりにくくたっていいじゃない!一生懸命生きてるんだもん!分かりやすいということは、裏を返せば、底が浅いということさ!
他ならぬ僕ことまさぼーたち夫婦も、真琴同様に分かりにくい類の人間だ。
特に僕は、複数の心や脳の障害を抱え、rock'n'rollとプロレスをこよなく愛し、マニアックな映画や本を好み、社会主義的な思想を持ち、一流と呼ばれる学歴を持ちながら肉屋のパートとして怒鳴られながらわりと平気で働き、甲斐性もないくせに何故か女性にモテて浮気もし、にも関わらず妻にはこよなく愛されていて非常に仲が良く、人並み外れた優しさで、病気を抱える父や母やブログ仲間のみんなの相談に親身になってのりながら、怒ると実はものすごく怖くて、そのくせエッチで、いつもくだらない冗談ばかり言っては周りを笑わせている、そんな僕。
こんな説明では実際、説明にもならない。僕という人間を理解していただこうと思えば、これはもう普段の僕の生活ぶりをビデオにでも撮影して、一部始終を欠かさず見ていただくしかないだろう。いや、たぶんそれでも難しい。見れば見るほど、いいヤツなんだか悪いヤツなんだか分からなくなってきて、余計にイライラするかもしれない。
…非常に、分かりにくい(爆)。
多数決の論理から外れた僕たちは、マニアックな人間。けっして大向こう受けの良くない、アウトサイダーだ。
だけど、アウトサイダーにはアウトサイダーの生き方がちゃんとある。人の価値は数字で決められるような単純なものではないのだから、たとえ数の多さでは負けていたって、中身の濃さで勝てばいいのだ。
これは、あくまでも僕の考え方だ。だから、僕に正当性があると思えば支持してくだされば、それでいい。考えの異なる方々に、ことさらに押しつけるほど、僕は偉くはないのだから。
『赤いベレー帽』は、そんな僕の全てを注ぎ込んだブログだ。それこそ星の数ほどあるブログの中から、せっかくここへわざわざ辿り着いて読んでいただいた皆さんには、良くも悪くも何かを持って帰っていただければ嬉しく思う。たとえ反面教師であれ、皆さんのお役に立てれば幸いである。
対人恐怖症レスラー真琴は、今日も世間のはじっこで、彼女なりの精一杯で闘っている。
境界性人格障害者のまさぼーもまた、同じ空の下、精一杯、生きてもがく。
いい子だよ、真琴は。挙動不審だけど。
いいヤツだよ、まさぼーは。
分かりにくいけど。

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