世の中は三連休。今日はその初日ということで、僕が働くスーパーもお陰様で大賑わい!
冷蔵庫から冷気がもれる肉屋にいながらも、全身もう汗だく!腰・肩・背中と疲労困憊で帰宅し、ぜえぜえ言いながら手にした携帯でいろんなサイトやブログを眺めていたら…たまたまこんな男性を見つけた。
その男性いわく、彼はファザコンの傾向がある女性が好みだそうで、ファザコンな女性は聞き分けが良く、彼にとって扱いやすいのだと言う。
逆に、リベラリストの父のもとで自由気ままに育ったファザコン傾向のない女性は、“周りに気を遣う”ということができなくて、とてもつき合いづらいのだそうだ。
そして、思わず読んでいて失笑してしまったのだが、彼がいま結婚を意識してつき合っている女性が、まさにそんな“リベラリスト・タイプ”(苦笑)。だからこれから、“そんな彼女”とどうつき合っていったらいいのかわからないと言うのだ。
僕にとっては正直アホらしくて開いた口がふさがらないのだが…これまでこのブログでも散々同じことを語ってきた通り、誰かとつき合うということは、その誰かを他ならぬ自分が選んだということだ。
よく、夫婦仲が悪く、しょっちゅう些細なことで喧嘩ばかりするような夫婦を見かけるが、あれも同じ意味で実に馬鹿馬鹿しい。
その旦那(あるいは妻)を選んだのは他ならぬ自分自身なのだから、相手の至らなさを責めるより先に、まずは自分自身の見る目のなさを恥じるべきなのだ。それさえできれば、くだらない喧嘩などしない。
だいたいにおいて、人間が生きてゆく上で出会う出来事は、全てが(!)自分自身の投影である。
自分にとって都合の悪いことを他人のせいにばかりして逃げてばかりいても、お天道様はお見通しなのだ。
前述のファザコン好きな男性の例で言えば、どうやら彼は他人を分析するのが趣味のようだ。だから相手の女性の特性や資質にばかり目が行って、「自分がどうあるべきか?」という視点が抜け落ちてしまっている。
こういう男性は、たとえどんなにハンサムでも、どんなにお金持ちでも、絶対にモテない(苦笑)。
だから、「相手の女性が自分のタイプではない」と偉そうに文句を言う前に、「相手の女性にとって自分は、はたしてタイプなのか?」に少しでも思いを馳せるべきだろう。
しかし、こういう男って、あんがい多いよね。。
恋人とは、読んで字のごとく「恋する人」なのだから、ゴチャゴチャ要らんことを言わずにさあ、純粋に恋をしようよ!
テメエが愛されることばっかり考えてないで、愛してあげようよ相手を!
あ〜あ、ホント無粋だよなあ〜。カッコ悪いなあ〜。
リベラリストがどうたらこうたらがそんなに気になるなら、オポチュニストでもヒューマニストでもスタイリストでもギタリストでも、好きなのを選べば?(爆)
まったくもって…
吐き気がするほどロマンチックな悩みだぜ!!

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